「辺境の帝都」ヌクスへ

辺境の帝都ヌクス(人口34万)の中心部。

18年前ヌクスの街を訪れたときは辺境のさびれた街という印象だった。必ずしも全体を見たわけではないので、一面的理解だったかも知れない。今回、じっくり回り、さびれた街でもないという印象をもった。ウズベキスタンの北西端、カラカルパクスタン共和国(面積16万平方キロ、人口180万)という辺境の地ではあるが、その首都(独立国ではないので正確には主都)であり、1930年代からこの地の中核都市として建設されたソビエトの「帝都」だった。

ヌクスに行くまで:ヒヴァからウルゲンチ経由ヌクスへ

カスピ海沿岸に行く列車はこのウズベクほぼ西端の街ヌクスから出る。ヒヴァからさらに西だ。例によってそこに行くまでの旅程を報告すると、まず、ヒヴァから隣の中核都市ウルゲンチ(人口15万)に出なければならない。列車は本数が少ないので、ヒヴァ北門近くから出るバスでウルゲンチに行く。

ウルゲンチと言えば、こんなイメージだった(2007年12月の写真)。だだっ広いソ連型都市で、広大な敷地に巨大な政府建物が立つ…。もちろん、今でもこの場所はあるのだが、バスが着いたのは意外にも、
巨大なバザール地域だった(ウルゲンチ中央バザール)。人でごったがえ。ウルゲンチの別の面を見せられたようで面白い。
隣接して大きな市バス・ターミナルがあった。しかし、ヌクスへのバスが出るのはまた別のバザールからだという。しかも、日に1本のバスしかなく(鉄道は週2本)、昼の時間だと乗り合いタクシーになるという。その別のバザールBuyum Bozoriまで適当に市バスに乗って行く。何とも行き当たりばったりの旅だ。
ウルゲンチ北東部にあるBuyum Bozori。何となくしょぼい。
その隣にバスターミナルがあった。
バスターミナルの入り口に停まる車。これがヌクスに行く乗り合いタクシーだという。バスは1日1本だというし、乗り合いタクシーもあまり客が居ないようだ。ヌクスはそんなに辺境なのか。
客が集まるまで数時間待った。ドライバーと一緒にベンチに腰掛けたり「ゆったりした」時間を過ごした。いつ出るともわからず待つ客も大変だが、ドライバーも大変だろう。本当に客が集まるのか。満席にならなくても日が暮れるまでには出る他ないのか。途中、バザールの中に入って昼飯を食べた。中央アジア方式の春巻きが私の好物だ(写真の看板の真ん中)。これならどこにでもあり、野菜、肉その他いろいろ入り、ドレッシングの味付けでなかなかうまい。意外に大きいので満腹にもなる。
ようやく、私含めて3人の客が集まり、満席ではないが出発した。アムダリアのデルタを通った。
やがて乾燥地帯へ。
農業地帯も。
ヌクスに着き、駅近くで降ろしてもらった。立派な建築の駅だ。
駅前通りも立派だ。前回2007年に来た時とイメージが異なり、記憶を整理するのに困難を来たした。
駅近くの安宿に入った。その際のドタバタについては別稿
ヌクスは辺境だが、文化水準はばかにできない。市中心部にあるサヴィツキー美術館(カラカルパクスタン共和国国立美術館、1966年設立)。少数民族地域カラカルパクスタンの民俗、文化を伝える博物館だが、同時に、ソ連時代に弾圧されたロシアや中央アジアの「アバンギャルド絵画」を収集する美術館として国際的に高い評価を得ている。「奇跡の美術館」「砂漠のルーブル美術館」とも言われる。キエフ生まれ、モスクワ育ちの画家にして収集家イゴール・サヴィツキー(1915~1984年)の個人的な努力によってつくられた側面が大きい。辺境であるがゆえに中央からの監視の目を免れることができたとも言われる。
サヴィツキー美術館の内部。
展示作品の一部。
同上。
同上。レーニンの肖像画も見えるが、確かにソ連式「社会主義リアリズム」の絵とは感じが異なる。
労働を描いた絵画でも独創的な味がある。
カラカルパクスタンの民俗の紹介。
アバンギャルド展示作品の一部。
同じく街中心部にある中央バザール。
同上。
それに隣接してバスターミナルがある。18年前、このバスターミナルに着いたはずだが、どうも記憶の中のイメージと現実の場所の整合に困難を来たす。
ヌクス中心部とドスリック(Dosliq)運河。アムダリア川から分水しているドスリック運河に沿ってヌクスの街は発展した。
砂漠に囲まれたホラズム地方にとってアムダリアの水が生命線だが、その水が灌漑により減少し、アラル海が消滅しつつある。川自体もアラル海に届かず、砂漠に消えている。今のところ、ドスリック運河の水は豊富なようだが、いつまで続くか。15年以内にカラカルパクスタン200万住民は、環境難民化するとの懸念も
アムダリア本流を見てみたい、と東に歩き始めたが、なかなかたどり着けない。上記ドスティック運河は橋があるので越えられたが、並行する次の運河(写真)には橋が見当たらない。いくつか並行する運河を越えていかないとアムダリアにたどり着けないのだ。運河と運河の間にはうっそうとした草木が繁っている。もともとヌクスの街はアムダリアの洪水にさらされない場所につくられた。川本体にまで行くのは難しいのだろう。いやいやこの運河自体がアムダリアの一部とも言える、などと考えてあきらめる。
運河から取水している様子がうかがえた。対岸に農地でもあるらしい。