市中心部でバスを降りると爆音
宿近くから市バス22番に乗って、カスピ海岸近くの終点らしきところで降りたら、何だか異常な爆音がする。グオーンという騒音が、炸裂しては消える。周囲の人が慌てているわけではない。事故や異常事態の発生ではなさそうだ。中央アジア各地で、海岸べりに遊園地があった。ここもそうか。ジェットコースターでもあるのか、とその爆音に近づいていくと、何と自動車レースだった。市街地の道路を金網フェンスでふさぎ、防壁内をレーシングカーが信じられないスピードで爆走していく。
F1アゼルバイジャン・グランプリ
後で知ったが、「F1アゼルバイジャン・グランプリ」なる世界的レーシングカー大会だった。9月19日(金)だったが、この日から21日(日)までバクー市内で尋常でない車爆走が展開された。中心街の至る所が交通止めになり、金網の中を多数の車が新幹線並みのスピードで走りまくる。
何てことだ、サマルカンドでも世界トライアスロン大会があり、交通規制で苦労をしたが、バクーでも巨大イベントにぶつかってしまった。人里離れたサーキットでなく、市街地のど真ん中でこれをやるとは。最初、珍しいので見ていたが、やれやれこれは大変なことになった、と旧市街に向かった。



石油都市バクーにふさわしい?
このレースを見るためにわざわざバクー観光ツアーが組まれるほどなので、好きな人には貴重な場なのだろう。私にとっては猫に小判だ。ちょっとなじめない。莫大な石油燃料消費をするだろう。さすが石油都市バークだ。燃料代も安いのだろう。

街中のレーシングサーキット
バクーには市街地の中にレーシングサーキットができている。普段は通常道路として使われるようだが、正式のレースの基準を満たすレース専用コース(Baku Formula 1 Street Circuit 2016)になっている。下図は2016年グランプリレースのときのコースだが、今回もほぼ同じだろう。旧市街などがコースに囲まれているが、地下道やオーバーパスがあり、中に入っては行ける。

風の街バクー
バクーを歩いた5日間、肌寒い日が続いた。中央アジアの熱暑から来るとありがたいが、わびしい感じでもある。曇り空が多く、時折雨も降った。バクーはカスピ海に突き出した小半島南側にある。海洋性の気候だろう。(それだからだろう、涼しい割には夜そこまでは冷え込まない。)
そしてとんでもない強風だ。昨今の日本の竜巻ほどではないせよ、時折歩くのが困難なくらいの風速になる。あたりからモノが落ちてこないか用心しなければならない。バクーとはペルシャ語の「風の吹く街」(Badkube)が語源だという説があるくらいだ。この中を走ったF1レーサーたちも、強風にはほとほと困らされたらしい。
*天気図や風向・風速図の変化を見ていると、バクーの強風はコーカサス山脈の存在が影響しているように見える。ビル風と同じだ。ヨーロッパからの風が4000~5000m級の峰々にぶつかると、南東方向にカーブする山脈に誘導され、かつ強風化し、東端低地のバクー地域を吹き抜ける。バクーはカスピ海に突き出した半島上にあるので、単なる空っ風にはならない。海洋の湿気を帯び、雨交じりににもなるし、暗い雲が垂れ込めることにもなる。
石油で発展した街
バクー(人口234万、コーカサス最大)は石油で急速な発展を遂げた街だ。19世紀に、世界初のビビ・ヘイバット油田が掘削される(1846年)など石油開発が進み、1878年にノーベル兄弟(スウェーデン)、1883年にロスチャイルド家(米国)など外国資本参入も始まる。1890年代にバクーはロシア帝国の石油生産の95%、世界の石油生産の約半分を供給するようになった。バクーの人口は1863年の1万4,500人から1913年の21万4,672人と半世紀で15倍に増えた。.
シルバン・シャー朝、サファヴィー朝からの歴史
しかし、バクーには産油都市以前の歴史があり、その旧市街(内城、イチェリ・シェヘル)は2000年に世界遺産に登録されている。イスラム帝国(アッバース朝)の混乱期861年にコーカサスで成立したシルバン・シャー朝が1191年に首都をバクーに移した。そこから15世紀にかけて、この城壁都市の骨格が築かれている。交易の要衝だったバクーは周辺地域から攻撃を受け続ける。モンゴルの第3次アゼルバイジャン遠征(1231年-1239年)で占領され、16世紀にはイランから起こったサファヴィー朝に支配された。1722 年にサファヴィー朝が崩壊するとバクーはロシア帝国やオスマン帝国の侵略を受けた。以後、各勢力のせめぎあいが続き、1747年に半独立公国バクー・ハン国が形成されるなどしながら、最終的には1813年のゴレスターン条約で、バクーを含めたコーカサス地方がロシア帝国に併合された。
地下鉄駅から城壁都市へ


シルバン・シャー宮殿



乙女の塔


旧市街つづら歩き





フズリ公園


歩行者天国ニザミ通り

ゾルゲ公園


ゾルゲは、鋭い目、だけで象徴的に銅像化された。それが幸いして彼の銅像は残ったのではないか。像の説明もなければだれだかわからない。何か変わった芸術作品としか思われないだろう。レーニンやスターリンも、彼らの優しい?目だけで芸術的に銅像化されていれば、ソ連崩壊後撤去されるような不幸にあわなかっただろう。(ただし、ゾルゲの場合、名誉回復どころか、ウクライナ戦争下で、「ゾルゲのようなスパイになりたかったんだ」というプーチンの発言の影響もあり、ソ連でかなりの人気者になってしまったようだ。ゾルゲの銅像が多数つくられ、その名がつく公園、道路、さらに地下鉄駅までがつくられているという。)
コーカサス最大のヘイダル・モスク



