栃木・茨城弁を標準語に

言葉に性がある

あなたはドイツ語を習った時、あらゆる名詞に性があると聞いて愕然としたことはないか。女性名詞、男性名詞、中性名詞。その性を覚えないと定冠詞その他文法上の扱いが異なるので正しいドイツ語にならない。何千、何万の名詞があるのか知らないが、それが女性か男性か中性か全部覚えなければならない。ほとんど絶望した。

言葉に音階がある

ところが日本語も同じだ。アクセントというものがある。「雨」はアが高く、「飴」はメが高い、などあらゆる言葉に高低アクセントが定められている。間違うと意味するものが異なってしまう、こともある。日本語の場合、名詞だけではない。形容詞も動詞も副詞にも、あるいは構文全体にも正しいとされるアクセント、イントネーションが決まっている。日本語に何万の単語があるのか知らないが、それを全部覚えないと「正しい日本語」が話せない。日本語を習う外国人はそう聞いて絶望するだろう。それでなくても、何千という漢字、そしてひらがな、かたかな計3種の文字があり、漢字には訓読み、音読みな、漢音、呉音など異なる発音があり、敬語があり、「どんどん」「ばりばり」といった不思議な「オノマトペ」があり、動詞には複数種類の活用があり、、、と日本語の難しさが列挙される。なのに、その上にこのアクセントか…と絶望する。

そんなこと気にするな、と日本語を学ぶ外国人に言ってやりたい。しかし、しゃべって、あ、この人、外国人だな、とわかるのは、その未熟なアクセントのせいなのだ。

英語はドイツ語のような「性」を消滅させた。その他多くの面で簡単な言語になった。世界中に普及したのはもちろん英語圏諸国の軍事的・経済的・文化的ヘゲモニーによるが、単純化した言語であることも一役かったろう。日本語は難解言語のまま孤立を続けるのか。

無アクセント地域

そんなことはない! 栃木・茨城弁の登場! 無アクセント、無型アクセント、一型アクセント、平板アクセント言語などと言われる先進的な言語だ。(「崩壊アクセント」などというものがわかってないやつはおいとけ)。「雨」「飴」をアクセントなしで言っていいし、どんなアクセントで言ってもいい。そんな細かいことに気を使うな。意味は文脈でわかる。空から飴が降ってくるわけがない。福島や宮城、九州の宮崎や熊本、その他にもアクセントない地域がいくつかあるという。申し訳ないが、ここでは栃木・茨城弁に代表させて下され。栃木・茨城弁を標準語に!

流域文化圏

え、栃木・茨城弁をご存じないか。U字工事君たちが使っている言葉がそれだ。一世代前の人たちにはガッツ・石松や政治家の渡辺美智雄の言葉、と言えばわかって下さるだろう。

あの言葉は那珂川・久慈川流域を中心とした文化圏ではぐくまれた言葉だ。かつて鉄道や自動車道ができる前の時代には河川交通が物流と人的交流の中心で、河川流域に沿って同一の文化・言語圏が形成された。那珂川は栃木県北部から八溝山地を横断して茨城県に入り、水戸を経て太平洋に注ぐ。それに並行するように久慈川は、福島県南部から茨城県西部を南下し、水戸の北、常陸太田付近を通ってやはり太平洋に注ぐ。これらによってつくられた文化圏は近世には、関東としては例外的な大藩、水戸藩の治世下に置かれ、さらに独自性を強めた。この流域文化圏を中心に周辺に広がったのが一般に言われる栃木・茨城弁だ。

流域文化圏を中心に見れば言葉の違いの背景がよく分かる。別に県境で言葉が別れるわけではない。例えば栃木県でも県南の方は別の言葉だ。足利などは、群馬県域と同じ利根川文化圏で、そのアクセントは東京式だ(東京式中輪アクセント)。江戸期流路変更以前に利根川は江戸湾に流れ、上州から江戸まで共通の文化圏を形成していた。栃木県央の宇都宮周辺は鬼怒川圏で、真正栃木弁(那珂川文化圏)と東京弁(利根川文化圏)の中間に属す。鬼怒川は江戸時代以前は利根川とは交わらわず、独立河川として銚子方面に流れていた。

ちなみにU字工事のうち益子君は、旧黒羽町出身で、これは那珂川沿いの街だ。生粋の那珂川文化圏の言葉・アクセントを話している。さらにちなみに、本ブログ筆者・岡部もその南隣、旧小川町という生粋の那珂川文化圏出身者だ。U字工事君らと高校まで同じだ。

穏やかな言葉、きつい言葉

彼らの語らいを聞いて、コメンテーターが「ほのぼのとしていいですね」などと言うことがあって、ぷっと吹き出すが、もっともだ。益子君は強烈な物言いをする役だが、それでも栃木弁を使っている限りほのぼのとした雰囲気を出せる。那珂川流域文化圏に行けば、さらに優しくほのぼのとした栃木弁を話す人々にたくさん会えるだろう。

これに対し、東京弁はきつい。べらんめえ江戸弁の流れを汲み、言葉の節々に鋭角的鋭さが出る。同じくアクセントをもつ関西弁(別系のアクセントだが)はさほどきつくない。特に「そうどす」などと言う京都弁は柔らかく聞こえる。京都弁は「そうどす」のしり上がり語尾「す」を日本語として正しく「す」(su)と発音している。東京弁は「す」でなく「s」になっている。「そうでs」と語尾のuが切れる形でなまっている。語中も含めて子音化が激しく、こんなところも東京弁がきつく聞こえる一因があるだろう。

言葉には、絶対的・客観的に美しいとか汚いとかいうことはない。政治経済文化的に優位に立った地域の方言が「標準語」になり美しいとされる。地方の方言は奇妙、汚い、「なまっている」にされてしまった。人々の感性までがそう感じるように変形された。

韓国では栃木弁が美しい

韓国では、アクセントのないソウル方言が標準語になった。日本と似た高低アクセントのある釜山方言などは田舎言葉にされた。ソウル方言は、アクセントのない柔らかな響きを持ち、上品で洗練された言葉に聞こえるという。つまり、韓国では栃木・茨城弁が標準語になった。東京弁を話す人が韓国語を学んで話すと釜山方言に似ていると言われるという

縄文時代は無アクセント

私たち列島住民の言葉は、弥生・古墳期に大陸の声調言語が流入する以前は、無アクセントだったという(小泉保『縄文語の発見』青土社)。その歴史から見ると、伝統に返ろう、という主張になるかも知れない。実際、最近の若者言葉を中心に、アクセントの平板化が進んでいるという。原始の無アクセントに渡来系の声調言語の衝撃が加えられ、多様なアクセントに彩られる列島文化が生まれた。その数千年にわたる試行錯誤の後で、先祖返りの方向が出ているのかも知れない。標準語が栃木弁に近づいてくれているのか。

いや、ちょっと失礼なことを言いすぎました。「栃木・茨城弁を標準語に」と言ってしまったが、本意ではない。大陸四声言語の影響を受けた京阪式アクセントも美しいし、それがなまった東京式アクセントもはきはきして味がある。どれも地域の言葉は美しく、味わいがある。住民のアイデンティティだ。それぞれに尊重される必要があり、決して「標準語」などで強制されてはいけない。それぞれのお国言葉が乱舞し、しかし交流が進み自然に共通語が生まれていく未来を見つめよう。もちろん、その中で我らが代表、U字工事君たちにもがんばってもらう。