アフリカへ まずケープタウン

南アフリカ西部ケープタウンの街。喜望峰にも近く、アフリカ大陸のほぼ南端に位置する。近代史上、ヨーロッパからアフリカ大陸を回ってアジアに至る中継基地となってきた。

アフリカ南部4カ月の旅に出ることになった。困難の多いアフリカの旅だ。なのに全然緊張しない。早々に準備が整い、4月23日の出発の日には、することが何もなくなった。格安航空会社(LCC)荷物制限7キロをクリアするため、持ってくものは小さなバックパック一つ。着替え3そろえと、やや重いものはノートパソコンくらいで、あとは歯ブラシとか髭剃りとかの小物。あ、いや、人類学の文庫本とコイサン族に関する資料がちょっと多い。

出発の夕刻まで、何も今やらなくてもいいパソコン上の不要ファイル消しをしたり、孫をあやしたり、午後定番の内藤剛志出演の刑事ものTVドラマを見たり。アフリカに行くというのにこんなんでいいのか。43年前、カイロから南スーダン経由でナイロビまで陸路縦断した旅は本当にきつかったのに。もう行くことはないだろうと思っていたアフリカだが、なぜかまた行くことになった。今度はその南部が中心になる。

旅に出ればいずれ、いやでも緊張と高揚が高まる。無理に今から緊張させる必要はまったくない。

行きたい国外は他にいろいろあったが、一番難度の高いアフリカ南部を選んだ。コイサン族について調べたい。アフリカは遠く、最大の壁は高額の飛行機代だ。しかし、ケープタウン行きなら、LCC便含め自己責任乗り継ぎ片道切符が10万円で手に入った。なんとか私の貧乏旅行原則の許容範囲に収まった。

香港空港で少し緊張した

漫然と名古屋の空港を出て、香港の乗り継ぎで早速慌てさせられ、旅の緊張が少し出てきた。香港でのエチオピア航空への乗り換えは保証されていない。自分で再びチェックインしなければならず、遅れたら自己責任で切符代がフイになる。

乗り継ぎ(トランスファー)ゲートに入ろうとすると、君はチェックインしてないから一旦(香港に)入国手続きして入りなおさなければならない、と係の人に言われた。そんなことしてたら乗り換えに間に合わない。そうだ、さっきオンラインチェックインせよとのメールが航空会社から来ていた。もっと早くに連絡してくれていればいいのに、直前になってからの連絡。その場で、空港無料Wifiを使いスマホのオンラインチェックインの試み。

どうも最近「オンラインチェックイン」というのが増えたようだ。カウンターで並ばなくてもオンラインでチェックインできてしまう。預ける荷物がある場合も専用のカウンターで簡単に預けられるようだ。名古屋からのLCC(香港エクスプレス)便のチェックインもそうだった。まあ便利だ。しかしやるならやるで早くやらせてくれればいいのに、エチオピア航空の方はぎりぎりになってから指示された。(もっとも、自己責任乗り継ぎだから、チェックインして乗れなかったらまずいということだろう。間に合うことがわかるようになった時間(最初の便に乗れてそれがほぼ予定通り着くことが確実になった段階)になってチェックイン案内を送ってくれたということかも知れない。)

スマホでのオンラインチェックイン成功。送付されたファイルのQRコードをかざすと、無事ゲートが開いた。その先のエチオピア航空便出発ゲートまで悠々と歩く。そこで紙の搭乗券をもらう。フーム、こういうシステムになっているのか。これでケープタウン行きが確実になった。アディスアベバでも別便乗り継ぎだが、同じエチオピア航空で接続は大丈夫だろう。最悪1~2日遅れてもケープタウン便に乗せてくれないということはないと思う。

香港までのLCC荷物制限で、預ける荷物がなかったのもよかった。チェックインするトランクなどがあったらやはり一旦香港に入国してカウンターで荷物を預けなければならなかっただろう。

帰りの航空券を持ってないと入国できない?

次に、これは緊張しなかったが、途上国に行く際の入国要件には十分注意する必要がある。「帰りの航空券がないと入国できないから飛行機に乗せません」と言われる。一昨年、日本からギリシャ、カイロからイスタンブールなどに飛んだ時にはそんなことは言われなかった。しかし、前にアメリカから南米ペルーに飛ぶとき、そう言われ焦ったことがある。急遽ネットで帰りの安便を予約して急場をしのいだが、これで帰国日が確定し気ままな旅ができなくなった。南ア他アフリカ諸国でも同じことを言われるらしいことは下調べでわかっていた。

先進国からの旅行者が途上国に行って違法就労したりオーバーステイすることはあまりないと思うのだが、途上国としては、いつも先進国への入国で意地悪されていることのリベンジということかも知れない。

しかし、実際にはペルーでも南アでも帰りの航空券を持っているかなど聞かれなかった。一応形式上そうなっているので、航空会社が自主規制して帰りの切符を持ってない客を乗せないようにしているらしい(自分らの負担で客を元の国にまで運ばさせられてはたまったものではないということだろう)。私は事情に感づき、南アからナミビアに行くバス便を予約していった。日本に帰る便でなくても、他の国へ旅を続けることを証明できればいい。そのバス予約画面を見せると、無事飛行機に乗せてくれた。(後で簡単にキャンセルできる切符なら帰りの航空券を予約しておいてもいい。)

満員の飛行便で一晩明かすのはつらい

次に、旅の苦労と緊張に追い立ててくれたのは香港からアディスアベバまでの飛行機。アフリカ旅行ではエチオピア航空が安くて人気だ。満員。しかも列の真ん中の席だった。夜中10時間の空の旅だ。寝苦しくてつらかった。アフリカの旅への覚悟をいや増ししてくれた。(しかし、これは常に安便に乗る私にとっては毎度のことで、特別な困難ではない。特に今回は、最初に見つけた安便が3カ所乗り継ぎ、2空港で2晩明かす計50時間のフライトだったので、それに比べればかなり楽な便を最終的に見つけることができてラッキーだった。)

ケープタウン空港のエアポートバスが運休

そして第三の、そして決定的な旅の緊張を強いてくれたのはケープタウン空港で降りてから。何と空港から街へのエアポートバスが2022年12月から休止していると言うではないか。最初は、タクシー呼び込みのための戯れ言かと思ったが、観光案内所で確認してもネットで最新情報を調べても間違いなかった(ガイドブックやネット上観光情報のほとんどでも、エアポートバスで行けると古い情報が書いてあるので注意)。ケープタウン国際空港と言えばアフリカ南部で1,2を争う大空港。そこにエアポートバスがないというのでは愕然とする。乗り合いタクシーかウーバーしかないと言う。これまで日本でもアメリカでもヨーロッパでも空港までタクシーを使ったことなどない。貧乏旅行者にとって空港往復にタクシーなどとんでもない。エアポートバスどころか地元民が使う市バスで街まで行っていた(SF定番のSamTrans、他、NYジョン・FNYニューアークLAカイロマニラなどの例)。しかも、ケープタウン空港の乗り合いタクシーは料金詐欺が多く、決して使ってはならないと内外のガイドブックに書いてある。メーター付きでもメーターに細工あり、空港職員を名乗る手配者が出てくるが虚偽、などとも。確かに、空港の外に出ると怪しげな客引きに取り囲まれる。

絶体絶命か。これなら、最終目的地ナミビアまで一挙に長距離バスで行った方がいいか。しかし、長距離バスは街中からしか出ていない(後で調べると週末などには空港にも寄るようだった)。ぼられ覚悟でタクシーを使うか。ウーバーの方が安全だが、これもアメリカでもヨーロッパでも使ったことがないのに、こんなところで初めて使うのは危い。実際、ウーバー・アプリをインストールしようとすると南アの携帯電話番号がないとインストールでできないようだ。さらに、ウーバーの迎えが来るというターミナル2(国内線)に行ってみると、ここじゃない、ターミナル1の方だと言われる。実際最近場所が変わったことが後で判明するが、こんなあやふやなことではとてもウーバーも使えたものではない。

まだ昼だ。歩いていくか。遠くにケープタウン象徴のテーブルマウンテンが見える。あれに向かって歩けば迷うことはないだろう。しかし調べると20キロある。荷物を背負って20キロ歩くのは無理だ(そして、実際、途中は日本外務省が危険なので行かないように警告を出している地域だったことが後で判明)。

万事休したか。しばらくターミナル1の送迎乗り場付近のコンクリートに腰を下ろし茫然としていた。

まあ、簡単に解決した

この心理的負担は相当なものだったが、結局簡単に解決した。へたれこんでいたのが、国内線の一般人による送迎エリアだったのが幸いした(国際線ほど詐欺が横行していないようだ)。内職で白タク仕事をしている人が居て、「どこまで行くんだ?」と声をかけられた。プロの詐欺師ではないように感じられたので思い切って賭けることにした。前約束の料金250ランド(2200円程度)も悪くはない。

ボラレ防止のため、途中できるだけ仲良く会話して悪気を起こさせないよう配慮していた。宿のすぐ近くまでスムーズに運んでくれた。チップをはずんで300ランドを出した。ウーバーなら安くて150ランドくらいのからあったが、まあタクシー料金としては普通だ。なかなか正直者の内職タクシー運ちゃんで感心した。

少しずつその地で生きる能力を獲得していく

ボケを防止するには外国旅行をするのがいい。呑気な生活が嫌でも緊張の連続になっていく。日々サバイバルの格闘で、精神がいやでも研ぎ澄まされていく。

子どもと同じだ。赤ちゃんは生まれてからまずこの世界の光や空気呼吸といった未知の体験にさらされていく。そこまで行かなくとも、外国旅行者もそこで食を確保し、寝るべきところに寝るという基本からのサバイバル術を学んでいかねばならない。宿に入ったら(ここに入るまでが一苦労なのだが)、すぐ外に出て歩き回りとにかく街に慣れる。周囲は安全か、安いものが買えるスーパーはどこか、口に合う安食堂はあるか、調べる。試みる。降ってわいた異なる世界に圧倒されない根性をつけるためにも、歩き回ることが大切だ。宿内でも水回りを確認しシャワーのお湯の出し方、閉じ込められないためのカギのかけ方、あらゆることに慣れる。何もできなかった赤子のような存在が徐々に成長していく。それがうれしいという感覚を味わう。

1日目は周辺探索だけで終わったが、2日目は街の主要スポットを歩き、市バス(MyCiTi)の乗り方まで会得した。3000円の7日間市バス乗り放題パスがあったので買った。これは正解。街中どこでもストレスなくバスに乗れるようになった。遠方まで乗ってそのまま帰ってくる安上がり観光手法もとれる。3日目は、このパスを使って遠くまで、ケープフラット平野部を越えミッチェルズプレインの海浜部へ。4日目は博物館まわり。さらに午後はシグナルヒルという高台(350m)にも登った。ケープタウン名物のテーブル・マウンテン(1087m)はケーブルカー代金4000円がかなりの出費なので避ける。近場の無料で登れる高台に登れば街の絶景が眺められる(下記写真)。

5日目は、市バスの北方最遠40キロ・ルート、アトランティス市まで。すでに原野や砂漠がはじまっている。なんでこんなところに郊外都市があるのだ。ついでにもう一つの郊外都市センチャリー市も見学。ケープタウンまで帰って、今度は乗り合いミニバスの初乗りに挑戦。同じく郊外のブラッケンフェルという所まで。

こんな風に知らない街、知らない世界で徐々に自分の行動範囲、サバイバル手法を拡大させていくのは楽しい。が、しばらくこれを続けて行くと、いい加減にせい、ばからしい、という時期が必ず来る。そうなったら初めて、より腰を落ち着けた本格的な探求生活が始まる。しかし、今はまだ必死に新しいアフリカ世界への「慣れ、慣れ」にまい進するのみ。

円安で海外旅行に打撃

今は、海外貧乏旅行には最悪の時期。1ドル=160円に迫る円安だ。ケープタウン個室の最安3000円(booking.comで)は高い。これが、1ドル=100円程度の時だったら2000円で、そうすれば安心して泊まっていられる。南アだけでなく、周辺のナミビア、ボツワナなどでも同じレベルの安宿料金なので困ったことになった。

最安バックパッカー宿でも、ぐっすり眠れるのは不思議だ。時差ぼけで未明に起きるが、明らかに熟睡して気分よく起きられる。家での睡眠より快適だ。そう言えば、1月の能登地震直後、能登中部・羽咋市の3800円宿に泊まった際も、とても気持ちよく眠れて不思議だったのを思い出した。

そうか、私は普段から家で粗末なところに寝ているのだ。板の間の上にせんべい布団を敷いて寝ている。いや、決して、厳しい海外安宿宿泊に備えているわけではない。面倒くさいのでそうしているだけだ。正直に言うと実は押し入れで寝ている。確かに常に睡眠が浅い感じがする。今度帰ったらもっと安楽に寝る方法を考えなければ、と反省した。

乗り換えのアディスアベバ空港は人でごったがえしていた。
アフリカの大地を眼下に見ながら南に向かって縦断。
ケープタウンの背後には象徴となるテーブルマウンテン(右、1087m)がそびえる。海の近くに1000メートルの崖がそそり立つ景観は特徴的だ。上がテーブルのように平らになっている。左側のとんがった山はデビルズピーク(1000m)。
アフリカほぼ南端ケープタウンは思ったよりずっと近代的だった。街の中心部と背景のテーブルマウンテン。テーブルマウンテンにはよく霧がかかる。地元の人はこれを「テーブルクロス」と言う。ケープタウンは地中海性気候で、サンフランシスコに似ている。晴れれば「カリフォルニアの青い空」。しかし、沿岸に寒流が流れ、霧が出やすい。着いて数日はなぜか風もすごかった。ビル風と同じなのか、テーブルマウンテンからの吹きおろしだった。
ケープタウン市役所と市役所前広場グランド・パレード。1990年2月11日、25年間の投獄から解放されたばかりのネルソン・マンデラが、市役所正面玄関ポーチで5万の群衆を前に演説した。人種隔離アパルトヘイトの終結(正式には1991年6月)を告げる画期がここで刻まれた。
南アフリカ共和国議会。2022年1月に火事があり、現在修復中。南アは3つの首都がある珍しい国。一般には大統領府と行政機関がある東部プレトリア(ヨハネスブルグ近く)が首都と思われているが、これは「行政首都」。最高裁判所のある中部の中都市ブルームフォンテーンが「司法首都」、そして議会のある西部ケープタウンが「立法首都」だ。首都は何も一つに限る必要はない。オランダ、スイス、スリランカ、マレーシア、チリ、ボリビア、タンザニアなど首都機能を2都市に分散している国がいくつかある。3都市に分かれているのは南アだけのようだ。
議事堂近くにある国立南アフリカ博物館。地形、動植物など自然史が中心だが、先住民コイサン族関連の展示も充実している
コイサン族の残した壁画がアフリカ中に見つかる。
石器も。
テーブルマウンテンの右(手前)には、これまた特徴的なとがった山、ライオンズヘッド(右、669m)が立つ。横(市内)から見るとライオンが横たわって首を上げているように見えるので付けられた。ライオンの背中から尻あたりに相当するのがシグナルヒル(350m)で、今、その「背中」から「頭」の方向を見ている。シグナルヒルはケープタウン中心部から近く、登りやすい。どこからでも適当に登って行ってよいが、マレー系の人々の街があるWale Streetあたりから登るのがよいだろう。車だと遠回りの道路になる。
ケープタウンの全貌がわかるパノラマ写真。ライオンズヘッド(影が映っている)から北方向を撮っている。ケープタウンはアフリカ大陸のほぼ南端なので、南方向に海が開けているとイメージしてしまうが、実際には小地形的に見ると北向きの街だ。大西洋側に張り出した半島の北側の湾(テーブル湾)に海港がつくられた。その背後に1000m級の崖の山がそそり立つ。右からデビルスピーク、テーブルマウンテン、(撮影者の居る)ライオンズヘッド、そして左手の低い丘が、私の登ったシグナルヒルだ。こうして全体を見ると街全体が自然の地形でつくられた円形劇場の中に納まっているがわかる。ボウル(金属製の鉢)にも見えるので、この市街中心部一帯を「シティーボウル」ともいう。北方に湾が広がり、その先に大西洋岸が続く。その右手に少し顔を出しているが、山の裏側に比較的広い平原、ケーブルフラッツが広がる。郊外都市圏がそちらの方に拡大している。喜望峰は撮影者の背後、約60キロ行ったところにある。意外と遠く公共交通機関もないので私は行かないつもり。この写真の撮られたライオンズヘッドにも私は登っていない。写真は、Photo: Diego Delso, Wikimdia Commons, CC BY-SA 4.0
「横たわるライオン」の向こうは大西洋側。その沿岸にも街が続く。こちらは高級住宅街だ。シ―ポイントなどの街。
その大西洋岸都市をさらに南下すると、キャンプスベイ、ハウトベイ(写真)などの街が続き、さらに南下して喜望峰やケープポイントに至る。残念ながら市バスはこのハウトベイ(ケープタウンから25キロ)までしか行っていない。 
ハウトベイからはテーブルマウンテンの裏側が見える。
他方で、市バスの北ルートを最遠まで行くと、原野や砂漠がはじまる。こんなところに街あるかと思ったが、確かに立派なショッピングモールのある郊外都市アトランティス(ケープタウンから40キロ)があった。各種工場など工業開発が行われたところという。