人がテクノロジーを使うとき
1980年代、私がまだ30代前半の頃、発売されたばかりの「ポケットコンピューター」なるものに夢中になり、電車の中でもいじっていた。簡単なBASICプログラムをつくったり、できたゲームを試したり。するとある夜の国電で(当時は都市部の国鉄電車をそう呼んでいた)、酔っぱらった20歳前後の若者が大声で「こんなところでまでポケコンやらなくていいじゃないか」と文句を言い始めた。相手は酔っ払いなので知らんぷりしてかわし、そのうちポケコンもしまったが、こんちくしょう、と思った。
今、電車に乗ると若者の多くが、スマホをいじっている。50代になっただろうあの時の若者もこれを異様と思わないだろうし、もしかしたら自分でも電車内スマホにいそしんでいるかも知れない。私は少し早めにその先駆けを演じてしまったわけだが、当時は当然にも周囲がこれを異様な行動として見ていたということだ。現在、街路を歩きながら一人で大声を出し、笑ったり怒ったりする人を見かけることがある。「何だこの人は」と最初は思うが、イヤホンや小型マイクで携帯通話をしていることが次第にわかる。これもだんだん妙な行動だとは思わなくなるだろう。
7500台の公衆電話を無料Wi-Fi機器に
そんなことを思い出したのは、ニューヨークの無料電話Wi-FiキオスクLinkNYCを観察していた時。ニューヨークでは既存の公衆電話7500台をこうした通信装置付きデジタル屋外広告塔に切り替える大掛かりなプロジェクトが2016年2月から発進している。2017年9月18日現在、マンハッタンを中心に1080台程が稼働し、主要道路の傍らで1ギガビットの高速Wi-Fiが無料で使える。無料の国内電話がかけられる。USB端子につないでスマホの電源補充ができる。スクリーンで市街地図などをチェックできる。何よりもそれは大きなデジタル屋外広告(DOOH)塔で、市の税金を使わず、すべてこの広告収入でデジタル事業が実施されている。
市内どこでもだれでも無料で高速Wi-Fiが使えるようになったら、すごいことだ。英語でいうゲーム・チェンジ、つまり産業の基本枠組、競争のルール自体が大きく変わる可能性がある。携帯電話の普及で街の公衆電話は過去の遺物になったが、無料の公共Wi-Fiが普及すれば、携帯電話も周辺に追いやられる可能性がある。
古き良き固定電話だけの人にとっても、昔の公衆電話がそのまま無料電話になるようなものだからありがたい。このLinkNYCキオスクを通じて、米国内どこにでも無料で電話をかけられる。
だが、不思議なことに、実際にこれで電話をかけている人をほとんど見ない。皆携帯で電話をかけられるのに、わざわざこんな大型端末に寄ってきて電話をかけようとは思わないのか。馴染みがない不思議な機械だ。人々はまだ違和感を感じてこの電話を使おうとしない。そんなことをやったらどこかみっともないと思うところがあるのではないか。(私もそう感じて「実験」以外にはほとんど電話をかけていない)。
スマホがこれほどまでに普及した要因にはアップルの貢献が大きいだろう。iPhoneはクールで、単に便利だという以上に、かっこ良い。それを意図したマーケッティングが行われた。スマホを取り出したり電車の中で操作するのが、それなりにスマートな仕草に見えるようになった。少なくともオタク的でダサイ行動とは見られなくなった。
路上でネット接続するときの問題
LinkNYCという素晴らしい事業も、ナマの人間社会と向き合う中でいろいろ修正を余儀なくされる。最初はこの端末スクリーンでインターネットが自由に使えた。パソコンもネット接続もない情報弱者でも高速インターネットが使えるように、というデジタル・デバイド克服が意図されていた。しかし、この端末で長時間ポルノを見て良からぬ行動をとる人たちも居て、周辺住民からの苦情により、2016年9月、付属端末でのネット接続は停止された(”City Yanks Internet on ‘Mastur-bums’,” New York Post, September 15, 2016)。
無料Wi-Fi(自分のスマホを通じてネット接続)の方は実質的なメリットが大きい。使っている人も多く、これからの可能性も見込まれる。それでも、公衆電話に取って代わるという導入形態から、独自の欠点もはらむ。公衆電話のあるような殺風景な路上で長時間ネットサーフィンをやろうとは思わない。昔から、公衆電話というのは出先での緊急連絡に使うもので、そこでじっくりだれかと話したりする場所ではなかった。アメリカでは公衆電話も、家の固定電話同様、昔から定額(25セントなど)で市内無制限の通話が可能だった。しかし、だからといって、公衆電話で友人と長電話しているような人はまず見なかった。ウチの電話でゆっくりとやればいい。(アメリカでは電話は昔から市内通話無料が基本。厳密には固定料金制だが、その基本料金が日本より安かった。無料なら電話の使い方も変わる。夜出歩く代わりに、近所の友人と1時間、2時間と電話で話し込む人たちが昔から結構居た。)
ゆっくりできる所でネット接続したい
例えば、写真(下)のような空き地脇の殺風景な路上で、(自分のスマホを使うにしても)長く立ったままネットを見たいとは思わないだろう。路上にイス、テーブルなどの「家具」を持ち出し、ネットや音楽(さらには酒、他)をやっているという住民からの苦情も出ているという(Patrick McGeehan, “Unsavory Side of Free Wi-Fi Spurs Retreat,” The New York Times, September 15, 2016)。立ったままではやりたくないし、勝手に長居できる「居間」環境をつくって人だまりができれば、それはそれでまた見苦しい光景だ。
バス停、コインランドリー、公園の近くなどだったら、そこに座ってゆっくりネットを見たいと思える。そういう意味では、これまでよく無料の公共Wi-Fiが設置されていた各種公共施設、ショッピングモール、駅の待合室、公園などへの設置は当を得たやり方だった。カフェやレストランで無料Wi-Fiを提供するのも同様に理にかなっている。LinkNYCの設置場所がたまたまレストランの脇などというケースもあるが、あれはお店にとっては天の恵みだろう。店で提供しなくても高速Wi-Fiが外から飛んでくる。客が入る。
ネット接続に不向きな場所に設置されることについては、妥協すべきかも知れない。ネット接続に適さなくても、広告にはいい場所である可能性がある。LinkNYCは何よりも野外デジタル広告塔であって、それにおまけで無料Wi-Fiが付いているという位置づけでもいい。広告でどんどん稼いでもらい、それで市内全域をカバーする無料Wi-Fi網が確保されるなら歓迎するところだ。
民間活力と広告収入に立脚
LinkNYCはニューヨーク市の事業だが、民間の合弁事業体「シティーブリッジ」に外注され、広告収入によるインフラ整備と運営が行われている。このようなビジネス的運用への批判もあり、例えば2016年11月に市議会テクノロジー委員会のジミー・バッカ議員が公聴会を開き、キオスク設置が、ビジネス街で高所得者の多いマンハッタン区に偏っていると批判した。「現在マンハッタンには、他の4区全部合わせたより多いキオスクが設置されており、これは不平等、アンフェアだ」とし、低所得地域が不当に無視されていると指摘した(Alex Koma, “LinkNYC: Wi-Fi kiosks delayed in city’s poorer boroughs,” DailyScoop, November 18, 2016)。
利益主導のビジネス、特に広告事業が先行することにはリベラル派から当然批判が出るだろう。しかし、だからと言って市が税金で高潔な平等の理念で事業を行えば成功するかといえばそうでもない。この種の行政が設置したデジタル事業には累々たる失敗の歴史が積み重ねられている。シリコンバレーには「行政が興味を持った事業は疑え」という格言めいた言葉がある。行政は、最も新しい冒険的な事業には興味を示さず、さんざん成功した後、時代遅れになりかけた技術にやっと興味を示し、多額の資金(税金)を投じて乗り出してくる。だから、行政が興味を持つ事業は危ういというわけだ。たとえその時、最先端の技術に見えても、すぐ古くなり、やがて累々たるデジタル機器の廃墟ばかりが残される。日本を含めて世界各地に、こうした過去の残骸が野ざらしになっていないか。
ニューヨークのLinkNYCもそのような遺物になる可能性は充分ある。しかし、救いは、ここで市場の力を十分に取り込んでいることであり、野外デジタル広告という民間技術と市場的資金に立脚していることだ。最悪、Wi-Fi・ネット事業が頓挫しても野外デジタル広告の有効性は残るだろう。そこから再出発、転換の余地は残される。デジタル・デバイドの克服についても、市場原理を廃し行政が平等・公平な事業を実施すればうまくいくという神話を信じる人はもはやあまりいないだろう。市場の力を甘く見てはいけない。これまで通信機器・料金が革命的に安くなり、一般の人の手に届くようになったのは市場の力によるところが大きい。LinkNYCにしても、時間差はあるものの、富めるマンハッタンで十分資金を確保して、その成果物が周辺地域に及ぼされることで、低所得地域は客観的には最も早期にデジタル化に向かえる。むしろ、そのためにも、富めるマンハッタンで十分稼いでもらわにゃいかん、と言うべきだ。
低所得地域にも拡大中
公聴会では、事業を進めるシティーブリッジ側が説得力ある説明を行った。マンハッタン、ブロンクスでは地下施設へのアクセスなどインフラ整備が容易に進められるが、その他3行政区では、これら既存インフラはベライゾン(旧ベル系電話会社の大手通信企業)が所有しており、マンホールへのアクセスにしても何カ月もかかる手続きを求められるという。これさえクリアできればマンハッタン以外への敷設も計画通り急速に進めることができる、とした。また、マンハッタンでの設置状況にしても、キオスクの4分の1はハーレムなど北部マンハッタンに配置され、低所得地域を後回しにしているとの批判はあたらないと主張した。
2017年9月現在設置1000台を超えたLinkNYCは、クイーンズ区、ブルックリン区の方にも大通りに沿って設置の連鎖が伸びてきた。ブルックリンではまだ北部が中心で南部には1台もない。私の住む周辺はちょうどその中間付近にあたり、アパート近くにはないが、20分北に歩けば設置直後の機器があって、それがウチから最も近いLinkNYCだ。自分のアパート前にもこの連鎖が伸びてくるのを楽しみに待っている。