ヨーロッパの東で芸術を感じる

東欧に来て、いろんなところで彫刻や壁画などストリートアートにしっとりした芸術性を感じることが多かった。きらきら合理的なものばかり多いアメリカなどに暮らしてきたから人一倍そう感じるのかも知れない。コーカサス地方に来ても同じような感慨は続く。例えば次のようなもの…

バトゥミの海岸で見かけた彫刻。ファースト・ラブ(初恋)というのだそうだ。
h街中のふとした民家の壁画にも、繊細さを感じる。
噴水も。私が知らないだけで似たのが他にもあるのかも知れないが。
遊具も凝っている。
そして感心したのはバトゥミには「排除アート」(Hostile architecture)と呼ばれるものが一つとしてないことだ。公園や遊歩道のベンチはすべてこのような長いすになっている。ホームレスの人たちが寝れないように丸い腰かけイスにしてしまうとかはまったくなかった。
そもそも、どうぞねてくださいと言わんばかりの横たわりイスも海岸近くの遊歩道にあった。
首都トリビシで見た彫刻。何となくセンスを感じる。
同じくトビリシの場末で見た工事中アパートの壁画。バンクシー並みのできだろう。見て不快になるような汚すだけの落書きとはまったく違う。
アルメニアのエレバンで見た女性像。ユーモアだろうが、女性の側からの何らかの反逆の意思を感じた。
その中で最も感銘を受けたのはこの作品だ。ジョージアの芸術家、タマル・クヴェシタゼ(Tamara Kvesitadze, 1968-)の「男と女」(Man and Woman、2012年作)。一般にはこの地域で有名な悲恋小説名からとって「アリとニノ」(Ali and Nino)と呼ばれる。バトゥミ港近くの公園にたたずんでいる。高さ9メートルのアルミニウム製の巨大な像で、この男女の像が約10分かけて静かに回り、合体したり離れたりする。男と女の切ない出会いと別れをを表現する。特にこの写真のポーズのときが秀逸。女が空を仰いで悲痛な思いを表現し、男が背を向け下を向いて打ちひしがれる。
男と女が近づいていく。クヴェシタゼさんは「だれでもこのモニュメントを自由に解釈できますが、根底にあるメッセージは、人は一緒になれるのはほんの短い時間に過ぎない、しかしそれは人によって100年にも相当する、というようなことです」と語っている
二人は一瞬キスをしたような形になり、すぐ合体していく。この作品が「アリとニノ」と呼ばれるようになったのは周囲の動きであって、クヴェシタゼさんにとっては彼女自身の個人的体験をかてに生まれた作品ようだ
再び二人は離れていく。細かく描かれているわけではないが、空を見上げる女の表情が悲痛だ。

 小説『アリとニノ』

小説『アリとニノ』は、アゼルバイジャン人とみられるKurban Said(ペンネーム)によるロマンス小説(1937年初版)で、1910年代のバクーを主な舞台に、イスラム教徒でアゼルバイジャン人のアリとキリスト教徒でジョージア人のニノの悲恋を描いている。最終的には、アゼルバイジャンに短期間存在したアゼルバイジャン民主共和国が1920年にソビエト赤軍に打倒される中で、アリが死んでしまう。その後、アゼルバイジャンは他のコーカサス諸国とともにソ連に編入されていくが、それに至る過程の悲劇を民族主義的な立場から描く作品となった。同様な苦しみを味わった「アリとニノ」はたくさん居たとも言われる。アゼルバイジャンの国民的小説とされるが、30か国語以上に翻訳され、100版以上が出版されるなど、この地域を中心に国際的にも広く読まれている。2016年にはイギリスで映画化された(英語、PeaPie Films, IM Global, Celtic Films製作)。小説の内容からしてペンネームでの出版になったが、作者Kurban Saidが本当はだれだったのか今でも議論が続き、はっきりしない