ナミビアからザンビアへ

ナイロビを目指すことにした

1ヶ月以上居た「サン族の首都」ツムクェを後にして、北のザンビアに向かう。サン族探訪という今回の主要目的を一応達成したので、またケープタウンまで戻り、比較的安いフライトで日本に帰ってもいい。のが、ちょっと陸路が長くなっても、ケニヤのナイロビまで行くと、5万円以下という途方もなく安いフライトがある。そこまで陸路旅するのも面白いし、と北に舵をとった。

何と出発の6月28日、空一面に雲が出た。雨が降るような雲ではないが、こんな空はツムクェに来て初めだ。私が出るんで空も悲しんでいるのか、などと月並みなことを思う。
グリートフォンテインまでの帰りの「有料ヒッチハイク」は、来るとき乗せてくれたおじさんに再び頼んだ。「帰るときにはここに電話してくれ」と電話番号をもらっていた。ツムクェの農業省事務所で働いている公務員だが、このサイドビジネスの方がもうかっているかのようだ。頻繁に客を募ってはグルートフォンテインまで往復している。金曜日によく行くと言っていたので、金曜日を指定したのだが、最初は私以外にだれも客がいなかった。しかし、途中走っているうちに「ハイク待ち」をする地元民たちは多く、最後には8人がけの席が満員になった。料金は300Nドル(2500円)。来たときよりちょっと安いが、最終的にはチップを入れて往路と同じ350Nドルを払った。
途中、いくつか道路からはずれた村に寄って客を集めた。写真はオマタコ集落。狩猟採集民の集落は主要道からはずれたところに分散して立地する。ドライバーはおしゃべり好きで、下卑た話を含めていろんなことを話し、大いに参考になった。
オマタケ近く、主要道(C44号線)をやや西に行ったところに、検疫のチェックポイントがある。東方から肉類などの移入を禁止している。
その手前の野外食堂(左)で休憩。
そこからさらに100キロ、ついに舗装された幹線道路(B8)に出た。帰ってきた、の感慨。
そしてグルートフォンテインの村に。地方の村だと思っていたが、改めて歩き回ると、意外と市街地が広いことがわかった。特に南西方向に貧しい市街地が広がる。そこに行く中間地点にショッピングモールがある。「シビリゼーションに帰ってきた」という感じにさせられた。
村のはずれから東方の平原が見える。あのかなたに今朝まで居たツムクェがある。夜までグルートフォンテインの村を歩き回り、11時頃来た9時15分発予定のインターケイプ・バスに乗り込んだ。
夜行のインターケイプバスは、ザンビアとの国境近くで夜明けを迎える。
周辺は相変わらずサバンナ。しかし、少し木が多くなり「ウッドランド」(疎林地帯)に近くなったか。ザンベジ川が近くを流れているはずだ。
ナミビアとボツワナの国境を流れるチョベ川(ザンベジ川支流)はほぼ干上がっていた。国境にかかる橋からの眺望。川というより広大な平原で、水のなくなった河床に牛が放牧されている。ザンベジ流域は現在、極端な旱魃に見舞われている。 なお、正規のバス路線では、ザンベジ川沿岸のカティマ・ムリロ(Katima Mulilo)で直接ザンビアに入るので、私はこれをてっきりザンベジ川だと思っていた。しかし、実際は、ンゴマ(Ngoma)まで進んでからボツワナに入り、その後ザンビアに入るというルートをとっていた。
ボツワナ側の国境検問所から見下ろすチョベ川。茶色い部分が、むき出しになった川床。その先の緑はナミビア側のサバンナ。
ここのボツワナ国境検問所付近には、見事なバオバブの木が複数立っていた。立派な洞もあり、バオバブの木の中を住居にしている人たちも居る、という話もうなずける。バオバブは(少なくともこの辺では)群生はしないようで、サバンナの中にぽつりぽつりと顔を出す程度だ。
約50キロ進んで今度はザンベジ川を渡りザンビアに入る。相変わらずバスが正規ルートを走っていると誤解していた私は、あれ、たったこれだけ来ただけでザンベジ川の水がこんなに増えたのか、とびっくりする。しかし、実際には、さっき渡ったのは支流のチョベ川で、ここで本物のザンベジ川を渡ったことになる。さすがアフリカ第4の大河川(全長2,574キロ)だけあって、旱魃の中でも水をたたえている。ここにかけられたカズングラ(Kazungula)橋は2021年5月に完成したばかり。全長929mで、ザンビアの鉱物資源を南ア・ダーバン港に運ぶ上で重要となるだけでなく、アフリカ大陸を縦断するルート上でも基幹的な位置を占める。この地点は、ナミビア、ジンバブエの国境も間近に迫り、かつては四国国境(quadripoint)と呼ばれていた。ザンビア側のカズングラに両国の出入国管理をまとめて行うワンストップ国境事務所(One Stop Border Post)もつくられた。
リビングストンに着き、バックパッカー宿Jollyboys Backpackersに入った。リビングストンはビクトリアの滝を控えた観光地だけあって宿泊料金が高い。最安の市内ドーミトリーでも日本円で2300円。ただし、写真のように共用スペースはなかなか味のある宿だった。
リビングストン(人口16万人)の市内。ヨーロッパ人として初めてビクトリアの滝を見たデービッド・リビングストン(1813年 – 1873年)にちなんだ市名だ。
リビングストンの鉄道駅。
街中で見た面白そうな芸術家の店。