ブラジル最奥のアマゾン都市
2017年5月12日、ブラジル最奥のアマゾン都市タバティンガに来た。波止場近くの丘に登ると、アマゾンの広大な水面がひろがり、かなたに緑の地平線が望める。アマゾンは、河口から2600キロさかのぼっても大河の風情だ。対岸のペルー領サンタロサの村や、陸続きだが国境の遠いコロンビア領レティシアから小舟がやってきては波止場に人と荷を下ろす。明るいブラジル音楽が流れ、港には活気がみなぎる。
アマゾンは南米大陸西部のアンデス山中に源を発し、ブラジル北部を東進して大西洋にそそぐ。その河口から1500キロ遡上したところに有名なマナウスの街があり、アマゾン奥地観光の拠点となっている。そこからさらに1100キロさかのぼったブラジル最奥のアマゾン都市がこのタバティンガだ。正真正銘の奥地、大密林のまっただ中。こんな所までよく来たものだ、という感慨にかられながら大河の光景を眺めた。
しかし、実は太平洋側からここまで来るのはさほど難しくない。私は、ペルーの首都リマから国内線でイキトスまで飛び、そこから500キロを大型船で下ってここまで来た。一帯は、ブラジル、コロンビア、ペルーが川をはさんで接する3国国境地帯。広大な密林のど真ん中なので、どっちに行っても「緑の地獄」にはばまれて遠くには行けない。ここだけなら人々が自由に国境を往来できる特区になっている。
まずペルー内陸部のイキトスに
5月10日に、私はまずペルー東北部のイキトスの街に入った。まだブラジル国境までは500キロあり、河口からは3700キロさかのぼったかなりの上流部だ。しかし、アマゾンはここでも下記写真の通り大河の様相。それもそのはず、アンデス山中の源流からはすでに3000キロ、つまり利根川の10倍の距離を流れてきているのだ。河口からここまで最大で9000トン級の船が遡上して来れるという(イキトスには海軍基地もあった)。アマゾンの河川水流出量は世界の河川の4分の1だという。確かに、まだ、岸辺から対岸が見えなくはないので、上流であることには違いない。
ペルーというのは不思議な国で、南米の観光ハイライトを全部持っているようなところがある。かつてのインカ首都、クスコがあり、代表的インカ都市遺跡マチュピチュがあり、ナスカの地上絵があり、アンデスの6000メートル峰が数多く存在すると思えば、太平洋岸にはカラカラの沙漠が広がり、そして国土の半分を占める東部にはアマゾンの広大な熱帯雨林地帯がひろがる。アマゾン源流もペルー南部のミスミ山(5597m)周辺だ。
その源流から出たアマゾンがクスコやマチュピチュあたりを通り(ウルバンバ川)、何度も河川名を変えて、このイキトスあたりではマラニョン川として流れる。
イキトス(人口40万)は「陸路では行けない世界最大の街」。私もリマから飛行機で来ることになった。飛行機の中からアンデスの白銀の山塊が見えたかと思うと(撮影失敗)、雲が多くなり、アマゾンの雨林地帯に入った。雲間から見えるジャングルはまるで緑ゴケのじゅうたんが延々と広がっているようだ。アジアではニューギニアでしか見たことのない光景。
ここはアジアか
イキトスの空港に降りると、たちまち三輪タクシーの群れに取り囲まれる。「俺は街まで歩く!」と強引な客引きを振り切る。しかし、暑い。空港を出るとすぐ、路線バスが走っているのが目に入った。これに乗る。30円。窓にガラスが全くない。というより、骨組みだけの車体が走っている感じで、進行方向から風が思い切り入り気持ちよい。
街まで結構あった。密林を切り開いてつくられた開拓村を想像していたが、そうではない。普通の都市だ。空港から歩いたりしないで正解だった。
バス内で大音量で流される音楽、客呼び込みで大声を出す車掌、そして街を埋め尽くす三輪タクシーの群れ。アジアに帰って来たみたいだ。人々の顔も、心なしか、インドネシア人やフィリピン人に似ている気がする。しかし、よく見ると、確かにスペイン系の影響が、例えばフィリピン人などに比べて強いようではある。
街の中心部で降りたが、荷物をかかえているとやはり客引きにすぐ取り囲まれる。「アマゾン・ツアー」の売り込みだ。逃げ回り怒鳴りまくり、安めに見える民宿(Hostal)に飛び込んだ。40ソレス(約1300円)と高めだがやむをえない。
「アマゾン奥地」の交通地獄
まずは、明日朝3時発のラティシア行き船便を予約。アマゾンを船で10時間下り、コロンビア領に入る。2800円。船便もいろいろ競争が出てきて安くなってきた。7年前の「地球の歩き方」に書いてある料金の半額になっている。
そして、街を見て回るが、本当に、ここはアジアか、という印象。暑さと喧騒はインドネシアかフィリピンだ。あるいはこの大河の光景はベトナムのメコン河口かカンボジアのプノンペンか。あるいはインド・ベナレスのガンジス河岸か。バスと三輪タクシーの群れ。道路を渡るのも一苦労で、ハノイなど東南アジアの街を思い出す。「アマゾン奥地」で交通事故にあっては目もあてられないので、注意して歩く。
屋台で、ベトナムのちまき(バインチュン)に似た携帯食を売っていた。勢いで買い、その場で頂いてしまう。葉っぱで包んだ中身はおにぎりご飯で、その中に肉のかけららのようなものが入っている。バインチュンと同じだ。お椀に入っている辛いソースをかけて食べる。葉っぱで包むと腐りにくいらしい。同じような食品文化があるものだ。
ペルー、アマゾンでも、ご飯が広く普及していて感心する。揚子江中流で始まった稲作文化がいったいどういう経路でアマゾンまで到達したのか。
未明に出る船
翌11日、午前3時発の船に乗る予定が、寝坊して3時40分頃に波止場着。よかった、まだ乗客が波止場入口に入り込んでいるところだ。眠気が覚めないが、港使用税払い、パスポートチェック、荷物検査と振り回される。とにかく「グラシャス」「グラシャス」(ありがとう)で通り抜ける。尋問がある。「イキトスに何日?」「1泊だけ」。「何をしに来た?」「ツーリスト」。「おまえ一人か?」「そうだ」。そうだよな、こんなじいさま日本人が一人でこんなところに観光に来ないだろう、普通。
夜行バスでの国境通過や、夜中に目的地に着いたときも同じだが、深い眠りからいきなり起こされ右往左往させられるのは体に応える。心臓まひをおこすぞ。こんなことを続けていると長生きしない。添乗員に案内されて2等キャビンの席に着くと、番号は「3K」だった。確かにきつい旅をしている。
午前3時発のはずの船は、4時半ごろ出発。出発間際に乗り込んでくる客も多く、地元民はさすが旅慣れている。
「アマゾン上流」に大型船
アマゾン「上流」を下る船は、海を行くのと同じ普通のフェリーだった。200~300人の客。強力なエンジンをうならせ、静かな水面を安定走行する。1階の2等席もゆったりした座席で快適だ。しかし、アマゾンの船旅だ。できれば、デッキに出て全身にアマゾンの風を受け、広大な水面を体感したかった。最新型のフェリーではそれができない。確かに下手に客を外に出したら海に、いや川に落ちる心配があるだろう。
だが、景色自体は単調で、あまり変化がない。7~8キロ四方にアマゾンの茶色い水面が広がり、そのかなたに熱帯樹林の緑が繁茂する。山岳どころか小高い丘さえ見えない。どこまでも平らな平原を流れる川だ。両側だけでなく行く手も後も緑の地平線。アマゾンが蛇行して流れるからだ。しかし、上からでも見ないと蛇行していることがわからない。水面からの視野では、ただただ前後左右密林に囲まれているようにしか見えない。つまり、ここは7~8キロ四方の湖。そこをフェリーが高速航行している。ごくまれに川べりに小集落が見える。そこに止まり人々を乗り降りさせる時だけ若干異なる光景になる船旅だった。
国境自由往来の怪
イキトスからの船は3国国境地帯に入り、ペルー領サンタロサに着く。すぐ、小舟に乗りコロンビア領レティシアに入った。自由往来特区なので、コロンビア側で入国手続きも簡単にできると踏んだ。
しかし、外国人は別だった。波止場の入国管理事務所(ミグラシオン)で入国スタンプを押してもらうとすると、ペルー出国のスタンプがないのでだめと言われる。以後もよく間違うが、現地住民とは異なり外国人は必ず出国側の国境事務所に寄りスタンプを押してもらわないと先に進めない。
行き来自体は自由なのでこのままコロンビア側に泊まってもよい。しかし、いずれペルー側で手続きしなければならなので、両替だけして再び舟で引き返す。舟賃はコロンビア側からはコロンビア・ペソで、ペルー側からはではペルー・ソレスで払う。出入り自由なのに細かいところで規則がうるさい。
ペルー側サンタロサ村で波止場近くの宿に入り、あたりを散策していると、「ミグラシオン」があった。そこのお兄ちゃんに挨拶したら、入国管理官だったらしく、簡単に出国スタンプを押してくれた。明日改めて出向こうと思っていたが、手間が省けた。しかし、きょう付けの出国スタンプであす付の(コロンビア側の)入国スタンプが押されていいのか。「いい」と言う。不思議だ。では、この異なる日付にはさまれた今夜の時間帯、私はどちらの国に存在したことになるのか。
アマゾンの必需品
アマゾンでは懐中電灯が必需品だ。部屋の電気を消してから寝床に行く際、真っ暗なので懐中電灯が要る。つまりベッドサイド電灯がない。闇夜に寝床で目覚め、時間を確認したいときにも懐中電灯が必要だ。アマゾンも、大都市イキトスを出てサンタロサ村まで来ると、電気が自家発電になる。ここのホテルの発電装置は夜12時を過ぎると稼働停止。夜中にトイレに行くにも、時差ぼけで3時に起きるにも、懐中電灯が必要になる。夜12時まで、バタバタバタと裏庭の奥で騒音を発していたのは発電機だったのか、と真っ暗になってから気づく。
午前3時に目覚めると、となりの少し高級なホテルの裏庭からはパタパタと発電機の音が聞こえる。24時間電気がつくのだろう。
カメラが壊れた
アマゾンでは私も熱暑で体調を崩したが、カメラも壊れた。横の白線が入りほとんど画像にならない。ウェブで調べると、シャッター系の致命的故障だという。だが、シャッターに頼らない動画撮影はできるので、ここからの記録は動画になる。単独コマを取り出すと画像が荒い。スマホ写真も安物だったので、どうもぼやける。
そして、さすがアマゾン。インターネットがつながらなかった。10年前シルクロードの奥地に行った時でもネットカフェがあり、インターネットが不自由なく使えた。アマゾンではイキトスまでは通じたが、この3国国境地帯ではだめだった。サンタロサ村の宿にはWi-Fi自体がない。思い出せる限りアジアの旅を含めて初めての経験だ。コロンビア側レティシアの宿ではさすがにWi-Fiがあり、ネットカフェもあったが、ルーターまで接続できてもその先のインターネットがほとんどつながらなかった。
コロンビア領からブラジルに
翌12日、コロンビア側のレティシアに「正式入国」。こちらはサンタロサ村より大きく、明るくおしゃれな街だ。ボゴタ行きの安便を探したり、黄熱病の予防接種が不要だという証明書を取ったり、何だかわからない手続きに追われた。保健所の近くに黒い煙を吐く発電所があった。青いアマゾンの空に凶悪な汚染を立ち昇らせるが、これでレティシアの人々は24時間電気を使えるようになったようだ。
レティシアからブラジルのタバティンガは陸続きなので、2日目と3日目に歩いてブラジルに通った。「国境」は旗や記念碑が立っているだけで、入国管理事務所はない。人々が歩いて、あるいは車やバイクで、自由に行き来している。私も正々堂々と「蜜入国」した。気分よい。ブラジルの正規ビザを取得するには(米国籍の場合)160ドル取られる。それなしにブラジルに入れるのだ。
もっとも、ブラジルと言っても、ペルー、コロンビアとそんなに変わりない。人々の顔つきも流れてくる音楽も屋台の食べものも、カフェの雰囲気も似ている。ブラジルは、他の南米諸国と違いポルトガル語だが、言葉がわからない東洋人には、その違いもあまり気づけない。エキサイティングすることもなく、「ブラジルの街」をとっくりと観光させて頂いた。
5月13日夕方、レティシアの空港から、コロンビアの首都ボゴタに飛ぶ。南米は国内線と国際線の料金差が大きい。今回がまさにそうだったが、国境を船などで越え、国内の首都と辺境を国内線で飛べば総体としての移動費が安くなる。
この日、3国国境地帯は大雨が降り、空港は一時使用不能になって気をもませた。約3時間遅れで飛び立ち、ボゴタに着いた頃は暗くなっていた。