外国人サンクチュアリー宣言と市発行IDカード

地域の図書館に置いてあるパンフで、ニューヨークには市発行の身分証明書IDNYC(New York City Identification Card)があることを知った。パスポート以外、適当な現地IDカードがなくて困っていたので興味を持った。

パンフ冒頭に「取得に必要な書類はニューヨーク市に住んでいる証明と身分証明だけ。出入国管理(イミグレーション)上の資格は関係ない」とある。市ウェブページには「IDNYCはすべての市居住者を益する。これにはホームレスの人々、青少年、高齢者、未登録外国人、服役経験者など、他の政府機関発行IDが取得困難な人々も含まれる」とある。パンフレットの紹介は英語、スペイン語、中国語、ロシア語、ハイチ語、韓国語、ベンガル語の7言語でなされている。

サンクチュアリー都市

大したものだ。市の外国人サンクチュアリー(保護区、聖域)政策はここまで来たか、と感心した。1990年代に全米主要都市で出されている自治体サンクチュアリー宣言を取材していた。中米難民をはじめ正規の滞在許可を得られない「未登録外国人」を市が保護する。表立って連邦政府に逆らうわけではないが、「移民取り締まりなど対移民行政は連邦政府の仕事であるから市はそれにタッチしない。住民に平等にサービスを提供する」との理論構成で、例えば市警察は移民局の違法滞在者取り締まりに協力しない。サンフランシスコ市では、滞在資格を問わずサービスを行う日雇い労働斡旋プログラムを市の事業として行っていた(岡部一明「外国人保護区宣言都市 ―サンフランシスコ「日雇い労働者プログラム」『月刊オルタ』、1992年夏)

アメリカの自治体はここまでやるか、と感心した。日本など東アジアにも「自治体」はあるが、中央政府の下部機関というイメージは拭えない。「社会主義」の名の下に現代に継続する正統派東アジア伝統社会では、地方政府はまさに中央政府の一部たる「国家行政機関」で、その職員は国家公務員。「省の長は国(国務院)の部長級」などと給与体系も国・地方で一元化されている。だが、中世自治都市の伝統の残る欧米では様子が異なり、例えばアメリカの自治体は市民団体的要素が強い(国と組織的に独立しているのはもちろんだが、市民が決議して自治体が初めてできる、決議しなければ自治体はない、人口数十人、数百人の自治体も多い、行政サービス内容を独自に決める権利、独自の課税権があるなど、市民的・自治的機関の様相が強い。詳しくは岡部一明『市民団体としての自治体』御茶の水書房、2009年)。

サンクチュアリー運動は、もともと教会などが行う「聖域」確保の試みだったが、これが自治体の枠組みでも追求される点がアメリカらしい。

定義がはっきりせず、政策に濃淡もあるので集計が難しいが、ワシントン・タイムズ紙によると、現在全米に500近いサンクチュアリー都市がある(Stephen Dinan,” Number of sanctuary cities nears 500,” The Washington Times, March 14, 2017)。これには主要大都市がほぼ含まれ、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、サンフランシスコ、ワシントンDC、ボストン、フィラデルフィア、ボルチモア、デトロイト、ミネアポリス、シンシナティ、クリーブランド、オクラホマシティ、シアトル、ポートランド、デンバー、ソルトレークシチィ、ニューオリンズ、ダラス、ヒューストン、オースチン、アルバカーキー、フィーニックスなどの大都市名も見える(最も詳細と思われる「オハイオ職と正義の政治行動委員会」(OJJPAC)の集計リストによる)。一方、移民局(国土安全保障省内の移民税関捜査局ICE)によると、2016年度に計279自治体から捜査への協力を拒否されたという(前掲The Washington Times紙)。

ニューヘーブンからはじまった市の身分証明書

その中で、滞在資格を問わず市が身分証明書を発行するプログラムをはじめたのはニューヨーク都市圏に近いコネチカット州ニューヘイブン市だった。2007年6月、同市市議会が25対1の多数で、「ニレの市住民カード」の設置を決議した(ニレはニューヘイブンの市の木だった)。未登録外国人はIDカードがないので銀行口座も開けない。多額の現金を持つことになるので窃盗犯からは「歩くATM」として狙われる。犯罪に合っても警察に通報できない。ID掲示が求められる建物に入れない、アパートを借りられない、医者にかかれない、急患でかかれても薬局で本人確認ができず薬をもらえない。市IDカードは、裏社会に隠れがちな外国人を公的な市民生活に復帰させ、全般的に地域の治安の改善につながる、とされた。カード発行代は大人10ドルで、身分証明の他、デビットカード、図書館カード、駐車料金支払い手段にも使える。初年度の事業費に、地域の社会的責任投資・コミュニティー銀行系の財団が約25万ドルを拠出した。ニューヘイブン市には名門イェール大学がある。制度導入に先立ち、同大法律大学院地域弁護活動クリニック(CLC)が米国法制度下でどのような市発行身分証明書が可能か調査し、6項目にわたる提言を行っている(A City to Model: Six Proposals for Protecting Public Safety and Improving Relationships Between Immigrant Communities and the City of New Haven, October, 2005)

「市外からの少数の」反対派が、市議会審議を通じて抗議を続けたが、多数の移民支援者らの熱意に及ばなかった(Melissa Bailey, “City ID Plan Approved,” New Haven Independent, June 5, 2007)。2007年7月からの10か月で5600人以上がIDカードを取得。反対派はその後も、例えばカード取得者全員の名前、住所、顔写真を情報公開させる請求を行ったりしたが、州情報公開委員会から拒否された。ニューヨークタイムズ紙は社説で、ニューヘイブン市の「政治的勇気」をたたえ、「イノベーティブな事業の継続」を支持した(”Editorial: Courage in Elm City,” The New York Times, May 22, 2008)。

ニューヨーク市も2016年から

ニューヘイブンに続いて、同じ年の11月、大都市のサンフランシスコ市市議会が市IDカード発行の決議をあげた。さらに主要都市ではロサンゼルス、シカゴ、ワシントンDC、デトロイトなどが続き、現在約20都市で、市発行IDカードが発行されている。

ニューヨーク市では2013年11月、格差是正を訴えた元ニカラグア支援活動家デブラシオ氏が73%の得票で市長に選ばれ、14年2月の第1回施政方針演説で市発行身分証明書「IDNYC」の導入を表明。同年6月に市議会が可決し、16年1月からカード発行が始まった。

日本人滞在者にも有益

ちなみにこのIDNYCには、メトロポリタン美術館を初め有名美術館・博物館が入場無料になったり、各種芸術・文化パフォーマンスが割引になったりする特典もあり、日本人滞在者にも使い出のあるIDカードだ。何人かの方が日本語でこのカードの取得方法について細かく解説してくれている。例えば、

http://www.pureko.tv/get-idnyc/

https://ny-pg.com/life/idnyc/

意外と知らない!?持って得する「idNYC card」

http://blog.livedoor.jp/madoatnewyork-02/archives/1020919803.html

ニューヨーク市内26か所に取得センターがあり、私のアパートの近くでは、ブルックリンのチャイナタウン内にセンターがあったので出向いた。漢字の看板が並ぶ中華街の十字路角の2階、「平等のためのアジア系アメリカ人」(Asian Americans for Equality)という市民団体(NPO)内にセンターがあり、気安い雰囲気。対応する市職員も、私が日本人だとわかると日本語も交えて対応するなど親切だった。

用意した申請書(日本語のものもある)と証明書類2通(パスポートと住所が証明できる書類)を提出すると、その場で写真を撮り、申請受理。10日ほどしてIDカード現物が現住所に送られてきた。州の権威ある身分証明書(運転免許証)などに似た白黒の本人写真付きカードだった。

市内26か所にIDNYCの取得センターがある。これはその一つ、ブルックリンのチャイナタウンにある「亜州人平等会」(Asian Americans for Equality、平等のためのアジア系アメリカ人)。建物の2階にある市民団体の中に間借りしている。窓にIDNYCのポスターも見える(窓の両側に赤い字のidという文字が見える)。
市内26か所にIDNYCの取得センターがある。これはその一つ、ブルックリンのチャイナタウンにある「亜州人平等会」(Asian Americans for Equality、平等のためのアジア系アメリカ人)。建物の2階にある市民団体の中に間借りしている。窓にIDNYCのポスターも見える(窓の両側に赤い字のidという文字が見える)。

 

トランプ政権への反発でサンクチュアリー都市増加

不法移民排斥を声高に訴えるトランプ政権は、当然ながら、こうしたサンクチュアリー都市への締め付けを強めている。トランプ大統領は、政権発足後間もない1月25日、国境に壁をつくるという単純で非常にわかりやすい施策を表明した。この大統領令(EO13767)については日本でもよく紹介されたが、同日、サンクチャリー都市に懲罰を与える別の大統領令(EO13768)にも署名したことは日本ではほとんど報じられていない。「全米のサンクチュアリー行政体は連邦法を意図的に破っている」と批判し(同令1条)、そうした行政体に連邦からの補助金を停止するとした(9条)。確かに、移民法を破っている未登録外国人を助ける施策を市が行うなどというのは日本では理解しにくいところだが、この大統領令には、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴを始め多くの自治体から反発が出ている。ニューヨークのデブラシオ市長はわざわざ記者会見を開き、「出身地、移民資格を問わず、すべての人々を擁護する」と表明した(Liz Robbins, “Sanctuary City Mayors Vow to Defy Trump’s Immigration Order,” New York Times, January 26, 2017)。カリフォルニア州サンタクララ郡(シリコンバレーが含まれる地域)とサンフランシスコ市及び郡が起こした訴訟では、サンフランシスコ連邦地裁が24月26日、大統領令13768号は違憲の可能性が高いとして差し止めを命じた。大統領令が出された後、フロリダ州マイアミ市など4市がサンクチュアリー政策の停止を表明したが、それ以上の自治体が、新たにサンクチュアリー宣言を出している。前出OJJPACによると、トランプ政権発足後3月半ばまでに新たに30以上の市、郡がサンクチュアリー自治体に加わり、さらに多くの自治体が準備中だという(前掲The Washington Times紙)。