バルカンの風土
長いトンネルを抜けると雪国だった、じゃなくて、地中海世界が終わっていた。遠くに雪山は見えるが。
バスがブドヴァを過ぎトンネルをくぐって内陸側に出ると、そこには広い平野が開けている。水も豊富なようで農地もある。広大な湖が現れた。湿地帯が続き、植生も旺盛。日本で見るような林の景色もある。遠くの雪をかぶった山脈は、標高2000メートル級のディナル・アルプス。長野あたりの盆地平野だと言われたら信じてしまいそうだ。
家の庭に柿の木があって、赤い柿の実がなっている。オレンジの見間違いではないかと目を凝らしたが、確かに柿の木だ。街に着いてから市場で柿を売っているのも見るので間違いない。益々日本の秋の景観に近くなってきた。
終点のモンテネグロ首都ポドゴリツァは盆地平野の真ん中にあった。これまでの地中海的な街とかなりで違い、平原にだだっ広く展開する。道路が広く、味のない四角ばった集合住宅が並ぶ。ソ連型の現代都市と言うべきか。
首都と言っても街自体は小さく(人口15万)、日本で言えば県庁所在地の地方都市といったところ。街の中心に行っても、公園が広がり、お店も多くない。宿の主人が「中心部にはヒルトンホテルがあるぞ」と言っていたが、なるほどその中規模ホテルがこの街の代表的建築のようだった。
アルプスから続く造山帯
バルカン半島というと地中海のイメージが強いが、実は長大な山脈地帯でもある。アルプスほど高くないが、そこからの連続した褶曲地形がこの地にまで及んでいる。雲南やラオスの山地が、ヒマラヤ山脈のなれの果てだったように、この地の山脈はアルプス山脈のなれの果てだ。
が、そういう狭い了見はいけない。アルプスからヒマラヤ、さらにインドシナ、インドネシア方面まで長大なアルプス・ヒマラヤ造山帯があって、環太平洋造山帯と並ぶ地球の2大褶曲帯を構成する。ディナル・アルプスなどバルカンの山脈もその大きな地球構造の一部だ。
宿代1500円
午後2時頃、首都ポドゴリツァのバスターミナル着。宿は個室1泊12ユーロ(1500円)と益々安く、ありがたい。東南アジアレベルだろう。予約サイト内最安を躊躇なく選んだ。2段ベッドの「ツインルーム」。シャワー・トイレは共同だが、2階3室に他に客が居るのかどうかわからない状況で、ほぼ専用で使える。窓からポドゴリツァ中心方向と海岸部山地の山並みが見える。
ユーゴスラビアのままだったら、この街に来なかったかも知れない。モンテネグロが独立して首都となったので、足を伸ばす動機が強まったか。ここからアルバニアのドゥラスまで行けば、イタリア側に行くフェリーがある。ドゥブロブニクからのフェリーは、あいにく冬場は運休していた。
38年前にもユーゴスラビアを旅している。ハンガリーから当時の同国首都ベオグラードを通りブルガリアのソフィアに抜けた(その後、ギリシャ、トルコ、中東・アフリカ諸国へ)。バルカン半島の中央部平野を南下したわけだ。今回は西部の地中海(アドリア海)沿岸を南下している。