アメリカの高齢者医療

国外で生活・仕事していた人が、高齢になって母国に帰りたいと思うのはごく普通のことだ。アメリカに居た日本人が日本に帰るとすれば、住民登録をして国民健康保険に入る。そしてごく普通に医療サービスを受けられる。

ところがアメリカでは、年老いて帰ってきた米国人をひどい目に合わせる。まず、10年間ソーシャルセキュリティ(社会保障=年金)税を払ってこなかった人は、高齢者の医療保険メディケアで最も基本的なパートA(入院とその時の医療費保障)の加入に月227ドルから413ドルの保険料が取られる。10年以上払った人は無料だが、それ以下の人は懲罰的保険料が課されるということだ。私の場合、9年しか払ってないので月227ドル。

ずっと国内に暮らしていた人は10年間の納税という条件はすぐクリアできるが、国外生活が長かった人は、なかなか満たせない。そもそも健康保険料に過去の年金保険料支払い経歴をリンクさせるという考え方自体が日本の健康保険制度にはないだろう。

(まあ、アメリカの国益のことを考えれば、若い健康なうちによその国で働いて税金納めて、よぼよぼになってから国に帰って高い医療費を使われてはたまらない、ということなのだろう。その点、日本の健康保険制度は「国益」を考えていないのか。)

年金については、相互条約があるので、日米両国での保険料支払い年数を合算して10年になってるから支給しますよ、という制度になっている(日本での年金受給も日米合算で25年払っていれば可能になる)。しかし、高齢者医療保険(メディケア)の場合は、米国側への支払い年数だけを見て宣告が下されるということだ。

使えない保険でも入らないと罰金

さらに65歳になった時にメディケア加入手続きをせず、遅れて加入した人には懲罰的追加保険料が課される。パートAについては、遅れた年数の2倍の期間に渡り10%増の追加料金が取られる。通院医療療費をカバーするパートBの保険料(所得によるが通常月134ドルの保険料。これはソーシャルセキュリティー税支払い年数にかかわらず請求される)についても、65歳時点でこれに加入しなかった人は、未加入1年に付き10%増の追加料金が生涯に渡り徴収される。私の場合65歳以降の未加入期間が2年になるから、20%の追加料金が125歳で死ぬまで課されるということだ。ひどいよ、ひどい。

まさかアメリカの高齢者健康保険制度がこんな風になっているとはつゆ知らず、65歳でのメディケア加入など考えもしなかった。しかも、加入して保険料を払っても国外ではメディケア給付は受けられないのだ。外国では役立たずの健康保険なのに、保険料だけはアメリカに払え、払わないと罰金、というのではこりゃあまりにひどいというんで、一般の在外米国人からも不満が出ている。

私の場合、アメリカ社会保障庁にこれから月500ドル程度ずつ払っていくことになる可能性がある。アメリカからもらっている年金は霧散する。そうなったら終わりだ。ばからしくてアメリカに居られない。日本に帰るしかない。

ウェブとのたたかい

で、今一生懸命ネットを調べている。そんなことがあってたまるか、きっとどこかに救いの道はあるはずだ、と。オバマケアの新制度で、保険に入ってない人は確定申告の際、罰金を取られるようになった点についても、いろいろ調べて、これは国外在住で他国に税金を納めている状態なら払う必要がない、ということが比較的簡単にわかった。

家探しもウェブ検索の戦いになったが、医療保険その手続き関係の戦いも結局ウェブとの戦いになりそうだ。ウェブ「での」戦いというべきかも知れないが、ウェブ検索の煩雑さに負けず、強い精神力で徹底的に調べていかねばならないという点において、やはり「ウェブとの戦い」だ。昔は、何事でもあちこちの事務所を回って「ばっきゃやろ、そんな甘い話があるか」と(実際は言わなれないにしてもそんな雰囲気で)蹴散らされながら調べていたわけだが、ウェブ上の戦いはそんなみじめ経験をすることがないからいい。必要な情報をウェブで十分集め、勝ち目が見えてきたところで役所に行き、お役人に対峙すればよいのだ。

なお、メディケア以外の米国内での医療保険の選択肢についは別項参照のこと。


後日談

(以下は、かなり後になってからの経過を含む「後日談」だが、込み入った内容で背景説明がないと理解しにくいので、ここに載せておく。)

配偶者を通じてパートA無料加入

何回か社会保障事務所に足を運び、らちが明かない経験をした後、ようやく一つの光明にたどり着いた。私は、妻の配偶者ということで、少なくともパートAのメディケアはカバーされるということがわかった。

前述の通り、私の社会保障税支払い(年金保険料支払い)は9年間だけだったが、妻が10年以上米国で働いて同税を10年以上払っていた。夫婦のうちとぢらかが10年以上払っていれば、その配偶者も自動的に無料でパートA健康保険がカバーされるのだ。それまで気づいていなかったが、各種資料を調べ上げてようやくこのことがわかった。パートA加入ならオバマケアの健康保険加入義務も充たし、確定申告で罰金も取られない。

社会保障事務所でこのことを調べてもらい、「確かにパートAに無料加入できる」と確認されたときには、大いに安どした。うれしかったが、しかし、これで私は益々カミさんに頭が上がらなくなるということでもある。

パートBも加入:事務手続きで苦労

これには、さらに後になっての後日談だが、結局「パートB」にも最低料金で入れた。以下、社会保障庁ビューロクラシーとの消耗なたたかいを含む細かい話なので、興味がない人は読まなくてよい。

私は、何度も社会保障事務所に足を運び、らちがあかない思いをしていた。65歳以降のメディケア空白期間が2年あったので、この分のパートB懲罰的追加保険料が生涯にわたって課される可能性があった(最初はパートAも加入していないと思っていたので、この懲罰的保険料も含めてダブルパンチの可能性も心配していた)。しかし、いろいろ調べて、社会保障庁の方針転換で、外国で働き公的保険に入っていた場合は懲罰なしにすることになったのを知った。しかし、このような特殊なケースの取り扱いについては現場への周知が不徹底で、社会保障事務所や同庁サポート電話での議論蒸し返しが延々と続くことになった。私がフリーの仕事をしていたことで、自営業専用の保険ではそのような公的保険とはみなさないというよくわからない規定を示されることもあるが、国保は、個人事業主の従業員も含めた国民皆保険のための公的保険だ。また、公的保険に入っていた証明も必要と言われ、日本の市役所から確認書を取り寄せるはめにもなった(日本の役所の担当者様、お世話になりました)。

提出書類が捨てられたらしい

その他、いろんな日本の書類をそろえて提出した。その時の担当者は、翻訳は不要、こちらで翻訳すると言って、実に簡単に受け付けてくれた(「結果出たら連絡するから。ハイ、きょうはこれで終わり。」的に)。しかし、その後全然音沙汰がない。書面で催促しても無反応。しびれを切らして半年後の2018年1月に社会保障庁事務所を再訪したが、そんな申請が出された記録はコンピューター上にもないと言われて唖然とした。

確かに、申請したという確認書はもらっていない。ブルックリン社会保障事務所は窓口が20以上あり、毎回別の窓口の担当者に向かわされる形だったので、不安もあった。「何月何日、あの辺の窓口で手続きした」「本当か、じゃあ、その人を特定してくれ」「この人だったか」「いや違う」などのやり取りをした挙句、どうもその人はすでに辞めているようだった。苦労して作成した私の書類はどこかに行き、私のメディケア申請も未だなされていないことになった。またしても振り出しに戻り、日本の国保に加入していた云々の議論を延々と…。

この時は、アメリカの公務員って何て信頼できないのだ、と思った。面倒くさいケースだったので書類がどこかに放り出されておしまいになったようだ。しかし、この2018年1月に対応した担当者は話の分かる人で、厳しい議論も吹っ掛けてきたが、とりあえずパートB申請の手続きをやってくれた。私が妻を通じてパートAにすでに加入しているというのを確認してくれたのも、この時の担当者だ。

1年後にパートB加入を知った

しかし、その後も、やはり音沙汰は長らくなく、5月にメディケアカードが届いたが、そこには「パートAだけ」と書かれていた。もう疲れた。パートBは要らん、民間保険で間に合わせるわ、となった。上記の民間旅行保険などの方策に切り替えたのはそういう事情だ。

そうなった、とずっと思っていた。だが、1年後の2019年5月にオンラインで社会保障庁のアカウントを調べたところ、前年7月にパートBが認められていたことがわかった(連絡はなかった)。そして、同12月から私の米国年金受給額からパートBの保険料支払い約135ドル(懲罰なしの支払い額)が天引きされていることもわかった(順序から言うと、年金支払い額が減っているので不思議に思い調べて初めて上記がわかった)。ヨーロッパ旅行に出ていたので気づくのが遅れた。皮肉にも私が米国を出てメディケアが使えなくなった時点から保険料引き落としが始まっていたことになるが、しばし感無量になった。当時の役所との疲れる対応の思い出がどっと出てきた。あの時の苦労は無駄ではなかった。次に米国滞在する時には、私は懲罰金なしのメディケアでほぼ全面的にカバーされる。

結局何だったのだ。メディケアカードの「パートAだけ」の記述を早とちりしたということか。詳しい説明は省くが、個別対応(SEP)ではなく、一般的な一斉加入(GEP)の時期(7月)に合わせて私の申請も受理されたということか。2018年1月に対応したあの担当者は何とか仕事をやってくれた、ということでもある。時期遅れになるがほめてあげよう。