アパート探しが第1の課題だったが、一応これをやり遂げた後、次の課題は就活だ。ニューヨークは物価が高い。私の少ない年金では足りない。おまけにアジアや南米の旅行でクレジットカードの借金が増え、危機的状況だ。何とか仕事を探さなければならない。
就活もネットが舞台
アパート探し同様、就活もネット上の格闘になった。さすがに時代だ。昔のように新移民があちこち職場を歩き求職しては追い返される、という体験はしなくてよくなった。しかし、就職が難しいのは昔と同じだ。特に私のような高齢者が職を探すのは難しい。
日本人がアメリカで仕事を探そうとしたら、まずビザの問題に突き当たる。私の場合、永住権どころか米市民権(国籍)まで取っているのだから、この面で障害はない。それにもかかわらず、なかなか仕事が見つからないというのは面目ない。申し訳ない。
いろんなサイトで求人を探し、最初は一つ履歴書を出したら、他は当たらないでその結果を待つ、という対応をしていた。しかし、すぐ方針変更。返事がなさすぎる。次々にあちこち履歴書を送る形になった。翻訳、日本語教師、留学生アドバイザー、ツアーガイドなど20か所程度に応募した。
大手のIndeedをはじめオンラインの求人応募は、これほどまでに反応がないのか。確かにアパート探しの時も、クレイグズリスト他の賃貸情報サイトで応募してもほとんど反応がなかった。同境遇の御仁らはどうしているのか、ウェブ上フォーラムをのぞいてみる。すると、あるある。
「俺は35件も応募したが一つも返事がない」「35件? 笑わせるぜ、俺は879件だ」「私は修士号取得後、就職できるまで2年間に1249件応募した」。
ホントかと疑問に思うくらいだが、確かに同じ職種を狙う人は、一つの履歴書を次々にいろんな会社にクリック一つで送れる。職種によっては求人がほとんど無限にあるのもある。その気になれば1000件以上応募するのも可能だろう。
そして面白いのは、企業の人事担当者からの書き込みもあって、「こっちだって応募者に次々電話かけてるんだ。ところがどうだ、電話しても、自分がどういう会社に応募したか覚えてない。どういう仕事でしたっけ、応募しましたっけ、などと聞かれる始末。そんなのばっかでいやになる。」( Indeed Forum: How does indeed work? With the resume and all)
笑ってしまった。確かに、オンライン求人・求職は簡単にできるが、一人一人の顔、一つ一つの会社が見えなくなり、データばかりのすさんだデジタル世界になっているのではないか。
別のフォーラムでは、会社から面接の指示が来たが、どういう履歴書を出したかわからなくなってしまった、という相談も見た。応募する仕事によって履歴を微妙に調整することはある。それを記録しておかないと、面接時に整合的な答え方ができなくなる。「会社に連絡し、あなたの出した履歴書を見せてもらえば」とのアドバイスを受けていたが、その後、この人が会社に受かったかどうか、報告はない。
人材紹介会社の求人
オンライン求職サイトには、人材紹介会社も求人広告を出している。夢のある面白そうな仕事であることが多い。それに応募しているうちに、どうも違和感を感じるようになった。応募するとまずその人材紹介会社に登録することになるが、当該求人の話にはならず、関連するこのような仕事があります、こういう仕事はどうか、と別の求人が次々に送られる。ある倉庫のパート仕事が2年前に出された広告と同じであることが分かったことでこの疑問はほぼ確信に変わった。釣り広告を出して人材登録確保をしているのではないか。そのためか、Indeedなどはわざわざ「人材紹介会社を除く」で求人検索できる選択肢を与えている。釣り広告でも、それで関連求人探しに動いてくれるなら求職者にもメリットがなくはないが、そうと知った上で活用する必要がある。私の場合だと、これでかなり夢のある求人を見つけたことが、本格的にウェブ求職を始めるきっかけになったということもある。
AIにチェックされる
会社側も多数の求職者に対応できず、今はやりのAI(人工知能)で、デジタル履歴書をチェックしているようだ。人が履歴書を読むのはかなり最終段階になってからのようだ。履歴書の書き方指南で、どうやればソフトウェアにひっかかる履歴書になるか、という点に念入りな説明がある。求職のような場面では、まさに人間がAIに管理され振り分けられる時代がすでに来ているのかもしれない。
商品価値低下
職が見つからない人の焦りがだんだんわかってきた。最初は、「特技の日本語が生かせる仕事」などに絞っていたが、そのうち、何でもよくなった。肉体労働でもパートでも、とにかく稼げればいい、という感じに。こんな仕事無理だな、とか、こんな仕事取れてもやりたくないな、と避けていた仕事にも手あたり次第履歴書送付するようになった。それでもやはり返答がない。
日本語の求人サイトではやはり日本レストランの求人が多い。日本料理の人気はアメリカでも高いのだ。しかし、ウェイターや受付の仕事は、さすがに応募する気になれない。むこうも若い女性などを期待しているんだろうなと思えてしまい、客の前にこんなおじいちゃんが出て行ったら困るだろう、などと自粛してしまう。しかし、客相手でない「弁当製造」という求人を見つけた。「リタイアした人歓迎」ともあり、喜んで電話した。
「日本料理の経験ありますか」と聞かれ、「いえ。学生時代にウェイターのアルバイトをしたことはありますが」と答え、それで終わりになった。
がーん。うちの息子が学生時代、弁当仕出しのアルバイトをやっていた。私は学生時代の息子以下の商品価値になってしまったのか。
大学教員はつぶしが効かない
大学教員というのはつぶしが効かない、と友人の大学教員、S氏が言っていたのを思い出した。手に職があるわけでなく、営業のような人的コミュニケーション能力があるわけでもなく、サラリーマンとしての常識も持ち合わせていない。しかし気位ばかりは高く、扱いにくい。大学という世界を離れたらどこからも声はかからない。大学というのはかつてヨーロッパ中世で、学問ばかりやって食えない学者たちが権威ありそうな教育機関をでっちあげて飯の種にすることからはじまった、という話をどこかで聞いたことがある。その通りだろう。権威ある学問の府、学歴社会…学者たちが飯のタネを生むため作り出した虚構かも知れない。まあ、それで社会の役に立たない学問をする人たちが食えていけるようになるのだから、文明発展の見地(これも虚構か)からはいいのかも知れない。
つぶしが効かないのだから、大学教員は自分からつぶすことなどしてはならない。簡単に大学を去ってはいけない。新たな人生に挑戦するなどと言って、この飯のタネをつぶしたら、それこそ悲惨な人生が待っている、ということを私は今、じっくりと味わっているのかも知れない。もちろん、当のS氏のように辞めたら各種研究機関から引く手あまたという人もいる。しかし、私はそうでない。くれぐれも、辞める時はその後の人生の進路をきちんと確保してから辞めましょう。
私の応募書類は読まれていたか
そんなこんなで焦燥に駆られていたある日、Indeedから「あなたの〇〇の求人応募が先方に閲覧されました。」というメールが届いた。びっくりした。初めてもらうメールだ。ということは、それまでの約1カ月、どの会社も私の応募書類を開かなかったということなのか。これまで送った30件近い応募の半分はIndeedを通じてのもの。そのたびに、業種、業界を慎重に調べ、これなら私でもやれる、やる意味がある、と納得して、それなりに心を込めて履歴書を書き直し出していた。だがそのほとんどは、開かれることなく、うち捨てられていたということか。
あまりにがっかりしたので、ウェブを調べると、Indeedのフォーラムにまったく同じ疑問が出されており、それへのIndeed担当者の回答も別のフォーラムに載っていることがわかった。同社は2年くらい前からこういう「閲覧されました」メールを出すようになったらしい。Indeed求人に応募すると、その個別企業のサイトに飛び応募手続きをする場合と、Indeedのシステム内で手続きを終える場合がある。この後者の場合に、そのようなメールが来るのだという。応募しても反応がないことに苦情が多いので、少しは何か反応らしきものがあることを通知した方がいいという判断と思うが、どうか、Indeedさん、逆効果では。応募してもほとんど読まれていない、ということがわかってしまう。それでも正確なところを通知する、というのは一つの見識でもあるが。
ま、それはいいでしょう。カミさんにも、資金の準備もせず出かけるからそういう切羽詰まった状況になるのだ、としかられた。危機線上ながら、気長に応募を繰り返す作業を続けていくことにしよう。それと、ウェブで稼ぐ作戦も考え始めた。「クラウドソーシング」などで依頼に応じて現地情報記事などを書く仕事もあるが、どうも好きなことを自由に書ける感じではない。ブログにグーグルの広告アドセンスなどを付け、書きたいことを書いていくのがいいか、という方向になった。「仕事くれえ自分でつくれ。何年人間やってんだ」という天の声も聞こえた。
ブログを立ち上げ1カ月で月10万、などという体験談も、ウェブ上に出ている。そう、とにかく夢をもつことが大切。…で、このブログをつくったのだが。