ニューヨークで小型トラック暴走によるテロがあった10月31日午後、私は、ブログ書きに集中していて、ニュースをまったく見ていなかった。夜8時ごろ書き上げてアップし、アパートの周りをジョッギングしたが、ハロウィーンだというのに、街に浮かれた様子はなく、お菓子を求めて家々を訪問する子どもの姿もまったく見なかった。ヒスパニック系と中国系の移民たちはアメリカ的お祭り、ハロウィーンにはまったく関心ないんだな、と思って家に帰ると、日本の家族からのメール。「ニューヨークでテロがあったようだが、大丈夫か」。そこで初めて事件を知った。
何というお粗末。ニューヨークに居ながら、事件後8時間たってから初めて気づくとは。しかも、日本からのメールで知らされるとは。だらしなさ、これに極まれり。(静かなハロウィーンだったのは必ずしもテロのせいではなく、やはり移民たちの街だったからだと思うが。)
その後、慌てて情報収集したが、テロがあったハドソン川沿岸自転車専用道は、マンハッタンではセントラルパークの自転車道と並ぶ最上のサイクリングコースで、私も何度か通っている(本ブログのこの記事の6番目と7番目の写真)。しかもテロの3日前、事件と同時刻の午後3時頃に、あの場所に行っていた(歩きだった)。あの付近は河岸の「バッテリーパーク・シティ」都市開発が1970年代に行われた有名な場所で、私はその見学に行っていた。トラックは北方から自転車道を爆走し、この開発地区の北端にある歩道橋下(スタイブサント高校横)付近でスクールバスにぶつかり止まったという。
テロから3日後(11月3日)、また別の用事で、あの辺を通りがかった。各所に花束が添えられていた。要所要所の交差点自転車道口に、車進入を阻止するため、コンクリート・ブロックが間隔をあけて置かれていた。
自転車道の傍らに花束と追悼の言葉。Always and Forever in our Hearts. Oct. 31, 2017. その向こうにハドソン川、対岸のジャージーシティのビル街。