ポーランドに入る

国境で検問があった。入国管理官がバスに入ってきてパスポートをチェック。リトアニアもポーランドもシェンゲン条約に加盟しているはず。入国管理ではなく、単なるセキュリティーチェックだったかも知れない。

リトアニアの風景は農地主体だったが、ポーランドに入るとまた少し森林が増えた。

朝8時半にリーガを出て、午後2時頃ワルシャワに着いた(1時間時差あり)。30ユーロ(4000円)の個室アパートに入った。バルト諸国では個室最安3000円だったが、ワルシャワはちょっと高い。しかし、快適な宿だ。おそらくAirbnbでも出しているのだろう、高層アパート9階3LDK内の一室。宿の主人には会わない。郵便受けのような箱を、メールで伝えられた暗証番号で開け、中にあるカギを取り出してドアを開ける。(出る時も、カギをそこに入れて勝手に出ていくだけ。支払いはもちろんネットで済ませている。)

ワルシャワ第一印象

「地球の歩き方」はバルト三国のものだけしか持ってきていない。これまでは、その市内地図を参照するまでもなく、バスターミナルでもきちんとした市内地図を入手できた。ところが持参ガイドブックがないワルシャワで、到着場所に市内地図がない。近くのワルシャワ中央駅にもない。鉄道案内所はあってもTourist Informationはない。たらいまわしにされた後、やや離れたソ連型年代物巨大ビルに行けと言われた(後で調べると「文化科学宮殿」だった。1955年建設当初は「スターリン記念文化科学宮殿」と言われた巨大建築)。

そこに観光案内所があり、一応ちゃんとした市内地図や各国語のガイド冊子をもらえた。しかし、旅行者が着くところにこそ、案内所を置くべきなのではないのか。立派な役所ビルまで来れば、そこに控える政府役人が観光情報を渡すぞ、というのはどうか。

ワルシャワももちろん寒いが、かすかに暖かくなっているのを感じた。やはり少し南に来ている。そして人々の身長が低くなって、見上げなくとも顔を見られるようになったように思う。バルト諸国は北欧人の国だったのだな、と改めて気づく。そしてポーランドは、性格もぶっちゃけ型で快活のようだ。北欧人は静かで誠実という印象だったが。

ワルシャワはバルト諸国の街、いやダブリン、ヘルシンキに比べても大都会だった。中心部の再開発が進み、近代的な高層ビルが20本は立っている。道路も広い。そしてまた、アジア人やアフリカ系の人たちの顔もそれなりに見ることに。入った民泊3LDKアパートにも、好青年のアジア人が居た。South Koreaから来たという。ロンドン留学中の哲学専攻大学院生。学問に行き詰ったようで旅に出たという。

Wikipediaによると、現在ワルシャワには100メートル以上の高層ビルが24棟あり、現在建設中のファルソ・タワー(310メートル)が2020年に完成すると、EUで一番高いビルになるという。)

ショパン

暗くなる前に、と急いで外を歩き回った。やみ雲に東に歩いていったら、何とショパン博物館にぶちあたった。ワルシャワの有名観光スポットだ。4時ですでに暗いし、これに入る以外ない。決して目指しては行かなかった。それほどショパンに縁があったのか、私は。

ショパンを聞かないことはなかったが、数多いクラシック巨匠の中の目立たぬ一人。しかし、ポーランドにとっては国民的英雄で、空港は「ワルシャワ・ショパン空港」と言い、このショパン博物館も聖殿のような雰囲気だ。使っていたピアノなどの展示、自筆手紙、楽譜、各種絵画などなど。音楽分野を「展示」する博物館というのはなかなか難しいだろう。

ショパンは病弱だったらしい。1849年に39歳で没した。確かに、ベートーベンの力強さ、モーツアルトの軽快さとは違う別の音楽だった。

ワルシャワは高層ビルが林立する近代都市だ。
ひときわ偉容を誇る「スターリンからの贈り物」文化科学宮殿。ここに観光案内所もあった。
ライトアップされる夜のショパン博物館。
ショパン博物館内の展示。写真はショパンの使っていたピアノ。