ワルシャワ蜂起博物館。日曜は入館無料なのでたくさん人が並んでいた。ワルシャワ蜂起博物館内。多くの若者が展示に群がり、過去の歴史を学ぶ。旧市街のワルシャワ王宮(右手)と王宮広場。ワルシャワの象徴となる中心広場だ。第二次大戦中のドイツの爆撃で灰燼に帰したが、戦後市民が根気よく復元。1980年に、旧市街を中心とした「ワルシャワ歴史地区」が世界遺産に登録された。ワルシャワの街は、1596年、ジグムント3世がポーランド王宮廷をクラクフからワルシャワに移転して形成された。王宮もこの時建てられている。左手の円柱塔の上にジグムント3世の像。旧市街の裏手にある「新市街」の中心広場。「新」と言っても、ワルシャワ遷都後、17世紀につくられたやはり古い市街。共に世界遺産になっている。17世紀設立の聖十字架教会。王宮広場から南に伸びるクラクフ郊外通り(「王の道」の一部)が古都ワルシャワの骨格を成している。この教会もそれに面して立つ。ショパンの心臓が安置されている教会としても知られる。ショパンはワルシャワ帰郷を望んでいたが、パリで客死した。後にその心臓がここに移された。一方、本当の新市街の方では建設ラッシュが続く。古い家屋がどんどん取り壊されているようだ。ワルシャワ・ゲットーを囲っていた壁(中央奥)。住宅地の間に奇跡的に残っていた。ワルシャワは第二次大戦前、ヨーロッパ最大のユダヤ人集住地区で、人口の3分の1、35万人がユダヤ人だった。1939年9月にワルシャワを占領したドイツは、同10月に市内にユダヤ人隔離の「ゲットー」をつくった。レンガ3メートルと鉄条網1メートルの壁に囲まれた3.4平方キロの地域に周辺からを含めて40万人のユダヤ人が集められ、一部屋平均7.2人という劣悪な環境に置かれた。1942年にその多くが強制収容所に送られ、殺害された。ポーランド全体で300万人のユダヤ人が殺された。(Holocaust Encylopedia参照)ゲットー内にあった Bersohn and Bauman小児病院。2023年までにこれを「ワルシャワ・ゲットー博物館」にする計画で、改修が行われている。