ウィーンでデジャブはなかった

11月26日にウィーン着。雨だった。冷たい雨だが、しかし、これまでと違って手袋をしないでも何とか耐えられる。傘を持つにはいい。

ウィーンは物価が高いのでホステル。ドーミトリーでも勝手気ままに暮らすノウハウは身に付けた。朝早く(4時に)起きて、ロビーで一連の朝行事と、こんなもの書きをしている。ウィーンは以前、1981年頃、半年程暮らしたことがある。ここを基盤に「おーJapan」という日本語ミニコミを出していた河内喜彦さんのところに一時的には寄宿しながら、編集に協力した。

栄光の「おーJapan」

1970年代には、日本で活発なミニコミ文化が発生したが、「おーJapan」は、その海外版で最もしっかりしたものだったのではないか。私もサンフランシスコ・のびる会で「風車」などというミニコミを出していたが、「おーJapan」にはかなわない。1978年3月から1986年まで発行された。久野収、宇井純両氏を顧問に、パリの仲間とも協力しながら、外から見た日本についてユニークな論稿がたくさん載った。

今、ウェブを検索してもまったく出て来ない。あれほどのものが歴史から消えてしまうのは寂しい。ここにちょっとでも書けば、少しは検索に出てくるか。河内氏とも長らく音信不通になっているが、これを契機に連絡がとれたらうれしい。

38年後のウィーンを確認したい

一度行ったところは再び旅行しない主義だが、ウィーンは特別だ。38年後の今を確認したい。長い月日を経て、この街が私にどう映るか、見てみたい。昨夜着いた限りではまったく覚えがない。バスターミナル、まったく記憶にない。新しいのか。地下鉄網がかなり整備されている。こんなものが当時あったか。自分がどこに住んでいたかも思い出せない。とにかくきょうは街の中を歩き回ってみよう。「デジャブ」がありますように。

人生の紛失

で、一日中、ウィーンを歩き回ったが、「デジャブ」は起こらなかった。自分がどこに住んでいたかまったくわからない。観光名所に行ってもさっぱり感覚が戻らない。こんな所に来たか。600年にわたってハプスブルグ家の中欧帝国支配の拠点となった、かのホーフブルク宮殿(王城)に出向いてもさっぱり思い出せない。

(正確には、見てなかったものを前に見たと感じるのがデジャブ=既視感で、このように、見たものを見てないと感じるのはメジャブ=未視感というらしい。)

確か私はこのあたりでよくジョッギングして、芝生の中を走り警官に怒られたことがある。アメリカは人も犬も芝生の上を走るが、ヨーロッパは芝生には入れないんだな、とわかった。その思い出は記憶にあるのに、デジャブ感は起こらない。記憶と今の街が一致しない。まったく新しい街に来た感じで歩いた。

こんなにも忘れてしまうものか。半年居たんだよ。人生の半分を紛失してしまうなら長く生きても意味がない。私の人生、3つくらいの別の人生だったのか。

王の居住地

それにしてもウィーンはすごい。バルト諸国の町々が「中世の街」だったとすれば、こっちは王城、もしくは「皇帝の居住地」だ。絢爛たる建築物が目白押し。その辺に普通に立っている建物、どれも日本に持ってきたら第1級の歴史的近代建築になるだろう。今のニューヨークに摩天楼がひしめくように、ハプスブルク王朝時代にはウィーンに宮殿がひしめいていた。

寒冷前線でも通ったのか、きょうは寒かった。ウィーンまで来たからもう大丈夫と思っていたが、きょうが東欧に来て一番寒かったのではないか。そう言えば、この寒さも記憶がない。38年前は暖かい時期に来ていたのか。

しかし、街の中心、シュテファン大聖堂に行ったら、あ、ここは覚えがあるぞ、という感覚に初めてなった。荘厳なゴシック式の巨大建築(下記)。これだけは初めて見たとき強烈な印象を持ったようだ。他は何も思い出せないが、これだけは思い出せたからよかった、と考えよう。

ウィーン旧市街の中心に立つゴシック建築、シュテファン大聖堂。市のシンボル的存在だ。1359年に南塔が完成。136.7メートルで、大聖堂として世界3位の高さ。ハプスブルク家歴代君主の墓所となってきた。
640年に渡り中欧に君臨したハプスブルク家の宮殿複合体・ホーフブルグ。これはその中でも最も壮大な「新宮殿」(Neue Burg)で、20世紀初頭に完成した。当然と言おうか、権威主義の権化ヒトラーは1938年、この宮殿のテラスからオーストリア併合を宣言した。現在は、オーストリア国立図書館とその付属博物館が入っている。ハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝(断続的に1273年 – 1806年)をはじめ、オーストリア大公国、スペイン王国、ナポリ王国、トスカーナ大公国、ボヘミア王国、ハンガリー王国、オーストリア帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)などの大公・国王・皇帝に着いたヨーロッパ最強と言われる家系。
ホーフブルク宮殿に向かってカール大公( 1771~1847年)の騎馬像が立つ。ナポレオンの軍隊に対して多大な戦果をあげ、ナポレオンから一目置かれていた。
ホーフブルク内のミヒャエル宮。19世紀末築。
ホーフブルク内の帝国官房宮。18世紀初頭。
王宮庭園の中にあるモーツアルト像。ザルツブルグ生まれでウィーンで活躍した。
ホーフブルク王宮に隣接する美術史博物館。自然史博物館と向き合って立っている。
ゴシック建築の市庁舎と市庁舎広場。街を囲むリング通りの外側にある。
市庁舎の中。

世界のオペラ界をリードするウィーン・オペラ座。ウィーン・フィルもここから生まれた。市庁舎とリング通りをはさんで対岸にある。

19世紀半ば創建のヴォティーフ教会。シュテファン大聖堂に次いで大きい教会。改修中。企業からの協力金を得て工事をしている、ということなのだろうが、この巨大な広告ポスターはいかがなものか。
庶民的繁華街マリアフィルファー通り。リング通りから西へ、西駅方向に延びている。私の泊まったホステルもこの先にあった。