内陸のマドリードがなぜ首都に
バスがマドリードに近づくと、北にグアダラマ山脈の山並みが見えてきた。標高2000メートル級だが、高原地帯が多いスペイン中央部では主要な要害になる。そうか、これだったか。首都マドリードがここに立地した要因の一つがわかったように思った。
スペインの首都マドリードは、他のヨーロッパ諸国の首都に比して不可解な場所にある。内陸高原地帯のど真ん中だ。
首都となるようなヨーロッパの大都市は、だいたい海岸部か、海からの遡行可能な河岸部にある。海の時代の近代には、そのような立地が当然だ。ところが、かの大航海時代を主導したスペインの首都が、海からの遡航どころか、河川交通さえあまり期待できない内陸部にある。もともと、メセタと言われる内陸高原が支配的で、かつ乾燥したイベリア半島では、アンダルシア平原のセビリアなどを除き、河川交通が発達することはなかった。
そこで、マドリード北方のグアダラマ山脈を見たとき、これかと思ったのだ。中世においては、産業基盤などより、防衛上の考慮が先に立った。山岳という要害の存在がマドリード都市形成の要因となっただろう。北方ほどではないが、東方、南方にも山地があり、マドリードは盆地内の街だ。加えて、南方数十キロに、比較的大きな河川、タホ川(下流のポルトガルでテージョ川になる)が流れる。河川交通はあまり期待できなくても要害としては機能しただろう。
古代カルタゴのハンニバル軍勢がアルプスを越えてローマ領内に攻め入ったように、山岳は絶対の要害ではない。しかし、侵入経路を狭めることにはなり、防衛上は、特定箇所に集中することが可能だ。
王は狩猟がしたかった
スペインの中央部という統治上の有利さとともに、この防衛上の有利さがマドリードが王都・首都として発展する背景にあったと思われる。しかし、実際にここを初めて王都にしたフィリップ2世(1581~1598年)は、狩猟が大の趣味で、ここが狩猟の適していたので決めたとも言われる。
フィリップ2世の時代、スペインは世界中に広がった植民地からの富で潤い、「スペインの黄金時代」を迎えていた。宮廷はその富を奢侈活動、絵画収集、豪華な宮廷建築建造に惜しげもなく投じたが、後のイギリスのようにそこから資本蓄積と新たな産業創出に移行することはなかった。狩猟を重視した王宮都市は、今日のマドリードにカサ・デ・カンポ、レティーロ公園など豊かな緑の公園を残した。有名絵画を集めてプラド美術館、ソフィア王妃芸術センターなど立派な美術館を残した。それらも偉大なことではあったが、スペインが大航海時代以降の近代史を率いることはなかった。「スペインの黄金時代」は徐々に終わり、主導権は蘭仏英に握られていく。
ブルジョアジーが育たなかった
スペインでは、海外からの富を産業革命に転化させるブルジョアジーが育たなかった。王宮の奢侈に消費されるだけに終わった。あるいは、カトリックのスペインでは「プロテスタンティズムと資本主義の精神」は生まれなかった。
本当は、大航海時代の拠点となったセビリアのブルジョアジーあたりにもっとがんばってもらわなければならなかったのだろう。フィリップ2世の父カルロス1世は、セビリアを首都にすることを考えていたという。しかし、当時の世界はまだ、王の趣味によって首都を選定するような宮廷文化の時代だった。王権は、イスラム勢力の駆逐というレコンキスタや新大陸への進出といった歴史的課題には有効性を発揮したが、次の時代をつくる力はなかった。奇しくも同じ時期、セルバンテスは喜劇小説『ドン・キホーテ』(1605年)を書き、騎士道精神にかぶれた時代錯誤の行動を大いに風刺して、世の喝采を浴びた。