トルコから船でギリシャに(Izmir – Piraeus)

キオス島からピレウス(アテネ近郊)まで乗ったNissos Samos号。乗客定員2202人、車両656台。ピレウス島で船体を休める。
船便ルート図 トルコからギリシャへの船便。イズミールからバスでチェシュメ港まで行き、そこからフェリーでキオス島へ。すぐ目の前の島なのだが、ここでギリシャ入国となる。そこから夜行フェリー便でアテネ近郊のプレウスへ。

イスタンブールからまたバスでアテネまで帰るのは芸がない。船(フェリー)で行くことにした。2023年1月初旬、トルコ西部のイズミールにバスで行き、その近くチェシュメからキオス島経由でアテネの港湾都市ピレウスまで船で行った(キオス島まで25ユーロ、そこからピレウスまで39ドル)。あまりポピュラーでない経路なので、体験を記しておけば他の人の参考になると思い、書いておく。イズミールからは、具体的には次のようになる。Izmir ->地下鉄、バス->  Cesme ->船-> Piraeus ->地下鉄-> Athens。また1月の閑散期の情報であることに注意のこと。

トルコから直接アテネに行く船はないようで、どうしてもトルコ本土近くのキオス島に船で行ってギリシャに入り、そこからピレウスまで別の船で行くという形になる。他のルートもあるようだが、このルートが一般的と思われる。

オンラインでの船便予約

予約はオンラインでできる。Ferryscannerが便利だ。一度キャンセルしたりしたが、英語メールでのサポートもしっかしりしていた(キャンセルは4日前までなら料金が全額返還される仕組みのようだ。だが私の場合なぜか3日前でも全額返還された)。チェシュメからキオス島までは1時間ほどで行ける近場にもかかわらず月火木は便がなく、先にその先を予約してしまうと乗り継ぎができなくなることがあるので注意。キオス島からピレウスまではほぼ毎日1~2便ある。しかし、まれにない日もあるので、よく予約サイトを見なければならない。チェシュメを夕方出て、キオス島でその夜の便に乗り換え、翌朝ピレウスに着く、というのが基本だ。しかし、キオス島を昼出る船もあったり、やはりサイトをよく見る必要がある。また、キオス島には2つの港があり、普通はトルコ本土側のChoraで乗り換える。しかし、中にはその反対側のMestaからしか出ない便があったりするのでこれも要注意だ。とにかく予約サイトでスケジュールをよく確認するのが大切ということだ。

イズミールからチェシュメ港まで

まずはイズミールから地下鉄M1の終点Fahrettin Altayまで行く。外に出て大きなショッピングモール左横の公園を西に歩いて行くと、階段で降りていく先にバスターミナルがある。たくさんのバスが停まっているが、Cesme行きのバスはそのエリアに入る手前、通路(道路)沿い最奧。乗り場係のテーブルが出ている。

チェシュメに行きたい、というと70リラ(約500円)だ、と。CesmeのCの下にあご髭?が付いているアルファベットは、トルコ語では「チ」と発音するらしい。Sの下のあご髭は「シェ」か。セスメでなくてチェシュメとなる。案内にはインターネット何たらと書いてあるから、ネット予約した人がここに来るようだ。が、予約なしで言ってももちろん売ってくれる。カネを払うと座席指定はしてはくれたが、切符はくれない。まあ、その辺で待っていれば間違うことはない、ということらしい。

来たバスはなかなかいいバスだった。満員になり、座席が足りなくなり、2人が乗降口の階段に座った。バスは海の見える高台の高速道路を快適に走り、約1時間で街に下りる。いろいろ停まるが、港まで行く人は終点で降りればいいので焦らないでいい。船の出発の5時間も前に行ったこともあり、終点まで行った人は3人だった。

路線バスというより、立派な高速バスだった。高台の乾燥した大地を片側3車線の高速道路がチェシュメまで続いていた。天気もよく、遠くにエーゲ海も時々見通せた。
終点チェシュメのバスターミナルで降りたら、この大通りを海の方に歩いて行く。

終点のバスターミナルから約20分歩いて港に出る。まだチェックイン事務所が開いてなかったので道路向かいにあるSunrise Lines社事務所でチェックイン。切符をもらった。午後6時の出航までまだ時間がある。荷物を預かってもいいぞ、というのでその事務所にバックパックを置き、周辺を散策することに。

さすがにここまで来ると空気も澄み、イズミールの大気汚染とは無縁だ。天気もよく明るい。住宅やお店も真新しく、貧困は感じさせない。エーゲ海のリゾート街だ。

チェシュメ港。大型船もとまっているが、我々の乗るのは小型船だという。
対岸のキオス島は目と鼻の先に見える。すぐ近くなのだが、そこはギリシャ領。
港近くに城塞があったので行ってみた。15世紀頃からジェノア人やトルコ人が城塞を築いていたが、オスマン帝国第8代スルタン、バヤズィト2世(在位1481~1512年)の時代に本格的な建築が行われた。中は博物館になっており、18世紀のロシア・トルコ戦争でのチェシュメ海戦(1770年)の展示などがあった。南下の野望をもつロシアは、17世紀後半から19世紀後半まで大小12回にわたりオスマンと戦争を繰り返している。チェシュメ海戦では、近代化を一歩リードしていたロシアが勝利。オスマンに軍事技術近代化の必要を知らしめた。
出港の1時間ほど前からチェックインが始まり、港入口から入る。チェックイン事務所は撮影者の裏手にある。港入口ではセキュリティチェックがある。
対岸からやってきた船から人が下り、我々が乗る。意外と小さい船だった。ウェブには揺れて大変だという書き込みもあるが、この日は穏やかな日であまり揺れなかった。
チェシュメ港を後にする。船籍はギリシャのようだ。

キオス島で乗り換え

1時間ほどでキオス島のチョーラ港に入って来る。すでに暗くなってきた。
防波堤の先の方に船が着き、そこで出入国検問を通る。そこから街の方に歩いてくる。さて、どうしよう、9時半の乗り継ぎ便までには時間がある。写真のレストランの片隅で休んでいた。フェリー会社と提携しているのか、それとも単に好意か、自由に休ませてくれるようだ。好意に甘えて荷物を置いてくれるか頼んだら、どうぞどうぞ、と。荷札をくれるわけでもなくただ隅の方に荷物を置くだけだが、この辺では悪さをする人もいないらしい。
その近くにフェリーのチェックイン事務所もあった。夜なので出航の1時間前ほどにならないと開かないが、ここでも頼めば荷物を置いてくれると思われる。
船便というのは頻繁にはないので、待ち時間ができることが多い。その時には、その島を見物するチャンス、と考えて積極的に歩き回るのが得策。キオスの街は基本的にはリゾート地でホテルや歓楽街が多い。
しかし、街はずれに、このような古い城塞があった。夜だから開いてないだろうと思ったが、入口が開いている。中に入ってみる。
すると中に街があった。城壁に守られた村だったのだ。非常に面白い。予期せぬ中世の城壁村に入り込んだようで、申し訳ないが静かな街をずけずけと歩き回らせて頂いた。この城壁村は、13~14世紀頃、ジェノア商人たちによってつくられたようだ。中世期に地中海各地でイタリア商人が活躍していたが、1261年にジェノアが東ローマ帝国再興の後ろ盾となってからは、東地中海でのジェノア商人が力が圧倒的になった。東ローマ皇帝からキオス島をはじめエーゲ海の重要拠点を付与され、キオスは1566年までジェノアの支配下にあった。
やがて、ピレウス行きのフェリーが港に入ってくる。その大きさにびっくりした。小さな港に入るのか心配になるほど。小山のような存在だ。幕末の人たちが黒船を見て圧倒された気持ちがわかる気がした。
船が着くと、乗客やトラックが一斉に中に入り出した。こんなんでID確認やセキュリティーチェックができるのか、と思うほど。私の場合スマホでチェックイン文書を見せただけだが、QRコードリーダーをさっと当てただけで「はい、OK!」。大丈夫か。
キャビン(船室)は高いので、ほとんどの人はほとんどの人は一般座席だ。ロビーの長ソファーなど、横たわりやすいのはすぐに占領されてしまい。私は普通のイスで寝ることに。それでもリクライニングだし、夜行バスよりはゆったりしていて揺れないのでさほど悪くはなかった。今の時期だと満員になることもない(椅子の2割程度が埋まる感じ)。毛布などを持参する人は床にごろ寝していた。あの方が楽だろう。(写真は皆が下船列に並んでからのもの。)

ピレウス港を探索

朝暗いうち、6時頃、ピレウス港に着いた。アテネまでは地下鉄で1時間もしないで行ける。午後のホテル・チェックイン時間までは相当時間がある。やはり、時間が空いたらそこで観光、という路線だ。ピレウス港は、東欧諸国の自由市場圏内での発展が軌道に乗る中、拠点港、中継ぎ港として重要性を高めている。

ピレウス港。

ピレウスは地中海最大規模の港

ピレウスはまず、客船の港としてはヨーロッパ最大の規模を誇る。港を歩いても、巨大な客船が少なくとも十数隻は泊まっている。(Eurostatの統計を見ると、2021年の年間乗降客数は約600万人で3位になっているが、1位、2位はイタリア本土とシチリー島の狭い海峡を連絡する港(Messina, Reggio Calabria)なので実質的には1位だ。)

コンテナ貨物の取り扱いでは2021年に530万TEUで、ロッテルダム、アントワープ、ハンブルグ、バレンシアに次いでヨーロッパ内5位だった。2014年に8位だったのが徐々に順位を上げている。(世界全体では29位。世界トップは4700万TEUの上海。)

ピレウス港の空撮。東から西方向を望む。手前にパサリマニのヨットハーバーがあり、中ほどに港客船埠頭、その後方にコンテナ埠頭などがある。Photo: Cristo Vlahos, Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0

中国がピレウス港を買収

このピレウス港に目をつけたのが中国だ。2009年のギリシャ経済危機を契機に、国有企業である中国遠洋海運集団有限公司(COSCO, China Shipping Corporation Limited)がピレウス港買収を進め、現在、ピレウス港湾公社株式67%を保有するまでになった。一国、あるいはEUの基幹的インフラを外国企業に売り渡していいのかという議論が出ている。

中国は一帯一路政策のもと、ヨーロッパの他の港湾にも投資を進めているが、その中でもピレウス港は拠点的存在だ。ヨーロッパ主要部(北西部)に向かうにはコペルやトリエステなど、アドリア海北岸の港の方が有利だが、これまでの関係もあるし、東欧、黒海沿岸諸国へ中継ぎ港としても使えるギリシャ南部の港に価値を見出しているのかも知れない。

ピレウス港の南岸中ほどにピレウス港湾公社の本社事務所がある。
よく見るとCOSCOのマークや中国語の表示も出ている。「中遠海運ピレウス港有限公司」の意味だと思われる。
コンテナ・ターミナルなど貨物用の埠頭は、旅客埠頭からかなり離れたところにある。
ピレウスのライオン像のところまで行った。港に出入りする船はこのライオン像を見ることになり、ピレウス港はやがて「ライオン港」と呼ばれるようになったという。紀元前360年に制作され、1世紀または2世紀頃からこの場所に立っていたものとみられるが、これはコピー。1687年、ベネチアがオスマン帝国攻撃の際にアテネを略奪し、この像も奪っていった。オリジナルは現在ベネチアにある。
港をかなり歩き回ったが、まだ時間がある。次は市中心部のコライ公園で休んだ。この銅像は頭に鳥が載った変わった彫刻…ではない。本物のハトがとまっていた。
まだ時間がある。今度は港の埠頭に入り、休憩所で休んだ。埠頭が出入り自由なのには驚いた。近くにトイレもあるし屋根付きで重宝した。ホームレスの人たちもここに寝泊まりしている雰囲気がある。ガイドブックなどを読んでいると、近くの男が話しかけてきた。俺は毎日ここに泊っている、ここから出勤するんだ、民主主義は自由でいいぞう。つたない英語でそんな風に言ったようで、にっこりと笑ってくれた。