ウクライナを見渡せる場所(ソロカ)

ウクライナをゆっくり見渡せる場所というのは、ここしかないのではないか。モルドバの首都キシナウから北に約160キロ。観光都市でもあるソロカ(人口3万7000人)の高台にある記念碑The Candle of Gratitudeから、ドニエステル川をはさんでウクライナのチェキノブカ(Tsekinovka)の村が見渡せる(写真右側)。2023年7月28日。
ドニエステル川河畔の丘に建つ「感謝のキャンドル」(The Candle of Gratitude)モニュメント。道路から約650段の階段を登った丘の上に立つ高さ29.5メートルの塔。モルドバの文化を守り続けてくれた人々への感謝を示すため2004年に建設された。塔の中はチャペルになっている。その(地上)外周が展望施設で、ドニエステル川やウクライナ側がよく見える。ソロカのメインストリートを南に約4キロ行ったところに駐車場があり、そこから階段で上に登れる。バスターミナルからはさらに近く、徒歩約20分で同駐車場に行ける。家族連れの観光客も多く、私の行ったときには小学校の課外授業グループも来ていた。
ドニエステル川をはさんでウクライナのチェキノブカの村、さらにかなたのウクライナ平原が見渡せる。ドニエステル(Dniester)川はルーマニア語(モルドバ語)でニストリ(Nistru)川とも呼ばれ、 モルドバ北東部でウクライナとの国境線を形成している。ウクライナ中央部を流れるより大きなドニエプル(Dnieper)川とは別の川なので注意。
ドニエステル川の下流方向(南方向)。大きく蛇行しながら流れているのがわかる。ここから直線距離にして15キロほど下流に行った左岸に、モルドバ共和国内の未承認分離国家トランスニストリア(正式名:沿ドニエストル・モルドバ共和国)の領域がはじまる。ロシア系住民の多い地域で、ロシア軍も駐留している。

ウクライナには近隣諸国からバスも出ているし、入国禁止になっているわけでもない。しかし、明確な戦場ジャーナリストの覚悟を持って入る以外、私たちは入るべきではないだろう。またロシア系の未承認分離国家トランスニストリアにも入るべきではない。すると、モルドバでウクライナ国境に近づけるのは、北部と南部だけになる。南部のドナウ川沿岸域では、モルドバやルーマニアの国境に近いレニにこの7月24日、ロシアによる攻撃があった。ドナウ川に沿った穀物輸送経路を狙ったものとみられる。

そもそも国境地帯というのは、辺鄙なところが多く、車がなければ行けないし、行ったところでぶらぶら歩いて写真など取っていれば怪しまれるだけだ。そういう意味ではこの北部の観光地ソロカ(後述の通り「ソロカ要塞」が有名)は、安心してウクライナ国内をじっくり見渡せる例外的な場所だ。道路や鉄道の橋、航路があるわけでなく戦略的にも近くに攻撃が来る可能性は低い。見るだけで、自分は何をしているのか、という自責の念にも駆られるが、ウクライナの人々に敬意を示し、外側に居る人間として何ができるのか考えるよすがにはなる。

ソロカの位置図。モルドバの東部を流れるドニエステル川はルーマニア語でNistru。その東側(左岸)が事実上の分離国家となっているロシア系のトランスニストリア(沿ドニエストル・モルドバ共和国)領域。Map: Krzysztof, Wikimedia Commons, CC BY-SA 2.5

マイクロバスがキシナウ北ターミナルから出る

ウェブ上でいくら探してもソロカ行きのバスはなかった。結局わかったのは国内交通のマイクロバスはウェブ上に情報を載せてないということ。実際にバスターミナルに行って初めて、午前7時からほぼ1時間ごとにソロカ行きのマイクロバスが出ていることがわかった。所要時間約3時間、料金110レウ(900円)を見ておけばよい。

キシナウには3つの長距離バスターミナルがある(中央、北、南)。ソロカ行きは北ターミナル(Gara de Nord)から出る。中央バスターミナルは街の中心にあるが、北ターミナルはその北方約2キロのやや不便なところにある。そこまで市バスもあるが、歩いて30分もかからないので私は歩いて行った。

北バスターミナルの入り口。
ソロカ行きのバスは、この辺から、あるいはこのターミナル建物の裏手(写真の右外)から出る。切符売り場で買うと105レウだった。お金を払っても切符をくれず、裏手に行け、と言われるだけ。不安だったが、何やら裏手では「あっちだ」と言われて、ソロカ行きのマイクロバスに乗せられた。どういう手筈か連絡がついていて、以後も切符チェックはなくソロカまで乗っていけた。事前情報では7時、8時、9時と1時間ごとに出ると聞いていたが、バスは10時40分くらいに出発した。満員になり次第出発という方式なのかも知れない。また、私はこの日、パスポートも忘れてきてしまった。国境の街に行くには途中でパスポートチェックがあるのではないかと不安だったが、これも杞憂。何のチェックもなく、国境の街を自由に歩けた。
国際線バスの発着所にはオデッサ行き(右)、モスクワ行き(左)、キーフ行き(写真外)、サンクトペテルベルク行き(写真外)などの掲示もあった。オデッサ行きとキーフ行きは運行しているようだが、モスクワ行きとサンクトぺテルブルク行きは運行休止の模様。
マイクロバスはほぼ満員で出発。途中で人を乗せるので立ち客も出た。途中、オルゲイ(Orhei)などの街に寄った。行きは停車が多かったが帰りのマイクロバスは、ほとんど停まらず、スピードも相当出した。エクスプレスということなのかもしれない。そのためか帰りは110レウとられた(あるいは直接ドライバーに払えば少し高くなるという方式かも知れない)。所要時間は行きは約3時間、帰りは2時間半だった。
途中の車窓からの景色。なだらかな丘陵もしくは平原といった景色がずっと続いた。ほとんど農地。畑はトウモロコシ畑かひまわり畑、あるいは枯れた牧草地帯など。

ひまわり畑が多かった

モルドバはもう風土的にはウクライナと同じなのだろう、ひまわり畑がたくさんあった。我々の世代としては、ウクライナを舞台にしたイタリアの反戦映画「ひまわり」(1970年)が記憶に残る。最近またこれの上映運動が起こっているようだ。

モルドバのひまわり畑。
同上。
ウクライナの黒土地帯もすでに始まっているようだった。黒土(チェルノーゼム)は、腐植土が分厚く堆積した肥沃な土壌で「土の皇帝」とも呼ばれる。黒海北岸から中央アジアにかけて多く分布。ウクライナの高い穀物生産を可能にしている。

ソロカ着

ソロカのバスターミナルに着いた。街の南部にあり、上記展望地「感謝のキャンドル」に比較的近い。
ドニエストル川に沿い、街の方(後方、北方向)から遊歩道が続いている。前方(南方)の高台に「感謝のキャンドル」の塔が見える。
ドニエステル川の対岸はウクライナ領。ドニエステル川は音もなくゆっくり流れる静かな川だ。ショーロホフ『静かなドン』を思い出す。大平原を流れる大河は皆こんなゆったりしているのだろう。(ドン川の方はウクライナに近いロシア領を流れ、アゾフ海(つまり結局、黒海)にそそいでいる。)
上述の通り「感謝のキャンドル」展望台まで登ると、ドニエステル川をはさんでウクライナ側がよく見渡せる。650段の階段は相当きつい。できれば真夏は避けたい。幸いこの日は寒冷前線の通った翌日で、比較的涼しかった。
高台の丘を下りて、主要道をずっと北に歩いてくると約4キロで街の中に入る。樹木が多く、静かな町だ。
街の中心にある中央公園。噴水の先に市役所がある。ソロカは「非公式のロマの首都」とも言われ、ロマ(ジプシー)の人たちが多いという(総人口3万7000人のうち約2500人)。

モルドバの象徴ともなっているソロカ要塞

その先のドニエストル川沿いにあるソロカ要塞。ソロカばかりでなくモルドバの象徴ともなっている。多くの民族の攻撃にさらされたこの地に建てられた要塞。現在のものは1543年から1546年にかけ、モルダビア公国のPetru Rareş(シュテファン大公の息子)によって築かれた。円形の要塞4つと四角の要塞1つを組み合わせたユニークな形の中世建築だ。右側が河岸遊歩道でその右がドニエストル川。
残念ながら要塞はここ数年改修工事中で、中には入れなかった。周辺は河岸公園となっており、多くの市民が繰り出していた。
モルドバの紙幣20レウ札の後ろ側にこのソロカ要塞が描かれている。
要塞の岸辺からはウクライナ側が見える。
ウクライナ側の岸辺で牛たちが草をはんでいる。彼らは、そこが大変な戦争になっている国だなどということは、夢にも思っていないだろう。
要塞から市南部のバスターミナルまでは、河岸沿いの遊歩道が通っている。お勧めの散歩道だ。ところどころに、水辺に降りていく階段がある。岸壁として使われていたと思われるが、今は使われてない。(街の北の方に地元民用の渡し場はあるようだ)。ドニエステル川は流れもゆるく、深さもありそうなので、物流に使われてもよいと思うが、往来する船はまったく見なかった。ロシア系未承認分離国家との対立がある状況では、河川による物流も困難だろう。
午前9時過ぎに家を出てきたが、明るいうち、午後4時ごろには帰途につけた。帰りのバスからも、ドニエステル川の向こう側、ウクライナの広大な平原がしばらく見えていた。