アメリカよ、グローバル・スタンダードを受け入れよ

なぜアメリカはグローバル・スタンダードを受け入れないのか。いつまで、古色蒼然たる制度に固執するのか。

封建時代の制度が残存

ごく身近な例から言うと、ヤード・ポンド法だ。本家のイギリスがメートル法に移行したのに、アメリカはまだ移行していない。世界でメートル法を正式採用していないのはリベリア、ミャンマー、アメリカの3国だけだという(*1)。インチやフィートもある。なになに、フィート(30.5センチ)は昔のイギリス人の足の大きさだったんだって。止めて欲しい。で、12インチが1フィートで、3フィートが1ヤードで、1,760ヤードが1マイルだと? よくこんな単位で経済が動いているものだ。

*1 Wikipediaによると、メートル法を採用していない3国のうちでも、「リベリアでは民間主導でメートル法への移行が行われ、今日ではヤード・ポンド法はほとんど使用されておらず、ミャンマーでも、2013年に、メートル法への移行を準備していると宣言された」とのこと。

面積では平方フィート、平方ヤードがあるかと思えばエーカーがあり(43560平方フィート相当とのこと)、体積では立法インチ、立法フィートなどの他にパイン、クォート、ガロンなどがあり(2パイントが1クォートで、4パイントが1ガロンだそうだ)、重量はオンス、ポンド、トンがあり(1ポンドは16オンスで、1トンは2000ポンドだよ)、しかもこれらの実際の大きさは米国と英国で少し違っているという。

少なくともメートル法は一貫した10進法だし、そもそも、フランス革命の際、人類共通の基準をつくろうと、当時測られていた北極から赤道までの距離(地球の円周の4分の1)を1万分の1にして1メートルという単位がつくられた。現在の厳密な測定ではちょっと誤差があるらしいが、この崇高な意図に敬意を払うべきだろう。実際、世界のほとんどでメートル法が普及している。

世界が混乱させられる

ところが、アメリカが封建制度を維持しているため、世界中が混乱させらている。航空機管制などでは、今でもヤード・ポンド法で、高度何万フィートなどと言わねばならない。スマホの液晶もテレビの大きさも、ハードディスクの大きさも皆インチだ。全世界がメートル法になっても、アメリカの市場が巨大だから、フィートやインチが世界進出してしまうらしい。

フィート、ポンドには少し慣れたが、温度の「華氏」には本当に困る。私は未だにこれに慣れず、換算表を見なければならない。え、100度が摂氏38度だって? ネット時代になって、表示が自動的に摂氏に直してくれるので便利になったが、逆にそれだから普段の換算がますます覚えられなくなった。

コピー紙のサイズだってアメリカは独自だ。世界中どこに行ってもA4、A5のサイズになっているが(美濃判由来のB4、B5は日本などの独自規格)、アメリカだけは「レターサイズ」「リーガルサイズ」という不思議なサイズだ。A判は、二つ折りにしても形(縦横比)は前と変わらないという数学的に美しい寸法(白銀比)でできている(B判も同様)。しかし、レターサイズとリーガルサイズはそういう関係にはない。紙をコピーするとき縮小拡大のサイズが合わないので困る。

ビジネスもアメリカは封建制度

単位の話は、単にはじまりにすぎない。ビジネスの世界でも、アメリカにはチップという古いやり方が蔓延している。ヨーロッパ中世の貴族の習慣からはじまったとされるが、これをアメリカは今でも頑強に維持している。一般に信じられているように、これは必ずしもヨーロッパに根強い制度というわけではない。むしろ、戦後のアメリカの圧倒的な経済力を背景に、ヨーロッパを訪問したアメリカ人観光客が大いに普及させてしまった制度のようだ。

ビジネスはドライに、合理的に行うものだということをアメリカ人は知る必要がある。市場社会は価格による等価交換だ。サービスが良かったら心づけをあげるなどという習慣は封建時代のもので現代のものではない。私もチップ制度でいろいろ苦労してきた。チップを出さないで激怒された経験もある。

確かにチップは特定パーセントを自動的に渡す価格の一部のようにもなっている。そう割り切った方がいいし、実際、社会の中ではそのように運用されている。しかし、事情の分からない人に、そう「指導」して関連するビジネスパートナーに激怒された経験もある(あれは確かにヨーロッパ出身の移民のだった)。チップは本人の気高い自尊心から生まれるもので、それを汚した、ということらしい。いやはやチップをめぐる微妙な感覚は難しい。難儀する。

スーパーのレジにチップ箱が置いてあることがある。え、こんなところでチップが期待されているのか。袋詰めをしている人に渡すのか。冗談じゃない。ファーストフード店などではチップを出さないぞ。

中華街で

中華街の激安理容店で散髪してもらい(6ドルだった)、満足して店を出ようとすると、「チップ!」と怖い顔をした店の主人に怒られてしまった。しまった、ここはアメリカだ。長くアジアを旅行していて、散髪はいつも日本でなく、激安のアジアで行っていた。その癖が、アジア系の多いアメリカ大都市に来てもつい出てしまった。アメリカでは、理容店などサービスを受けたらチップを出すのが常識だ。中華街の理髪店は、チップを出さない住人が多いので、常にこうして厳格に声を荒げているのだろう。

ソーリー、ソーリーと言って1ドル・チップを手渡した。私が悪い。またまたチップでいやな思いを味わってしまった。

レストランには行かない

そうこうしているうちに私は心底チップが嫌いになり、チップが要るところには行かなくなってしまった。タクシーには乗らないし、散髪は自分でし、レストランにも行かない。外食する際はマグドナルドなど、チップの要らないファーストフード店に行く。レストランでおいしい食事をしても、金額は〇〇ドルだから15%程度というといくら出したらいいか、切りのいい額にした方がいいか、などと悩むと楽しい時間もぶち壊しだ。

カネがないから、レストランに行かないんじゃないの? いや、チップ制度への反対です……が、確かに、それでなくても高いアメリカの外食がチップでさらに高くなるのはいやだなあ。