発表後査読の可能性

「査読」と「ピアレビュー」

英語の「ピアレビュー」(peer review)は日本語で「査読」だが、日本語の方がその本質を正確に突いている。「査読」はいかにもいかめしい。まさに審査のために読むという意味で、それによって査定、つまり評価を下すぞという意気込みが強烈だ。

一方、peer reviewは直訳すると「同僚批評」で、一つの論文を仲間がああでもない、こうでもない、「ここはこう書いた方がいいんじゃないの」「私はこう思うけどな」などと寄ってたかって批評しているようなイメージがある。しかしピアレビューはそんなものではない。学術雑誌に載せていい論文か、権威ある専門家が厳正にチェックする手続きだ。NatureやScienceなど有力誌では90%以上が蹴られるという。載せる場合も様々な改善点が提示され、掲載まで早くて数カ月、時に1年、2年とかかる。こんな恐ろしいものを「同僚批評」などと言うのは詭弁がましい。確かに、レビューの過程でいろいろ有益な助言を得て認識を新たにし、論文の完成度を高められるから、科学者仲間での相互育成活動になる。皆で分野全体のレベルを維持・向上させる尊い活動と言えなくもなく、研究者たちはなるべくそう思いたい。決して権威を振りかざす行為ではなのだ、と。

その点、日本語の「査読」は事の本質をよく表し、ストレートでよい。

いや、英語圏の方々もわかってはいらっしゃる。新オープンアクセス誌「科学自主ジャーナル」(The Self Journal of Science)を設立し、査読制度の改革を試みるマイケル・ボンは次のように言う

「既存学術誌が採用する『ピアレビュー』は、実際のところ白か黒かの運命(採否)を決める選考プロセスだ。最終決定をする編集者は、通常1~3人のピア(同分野研究者)とされる選ばれた人々(通常は匿名)から意見を聞く。したがってこれらの人々は一時的に権力をもち、論文へ思う通りの変更も強制できる。こうしたプロセスは科学的なディベートというよりトライアル(審判、裁判)に近い。これを『ピア・トライアル』と呼ぶことを提唱する。」

査読の欠点は様々に指摘されているが…

査読には多くの欠点が指摘されており、ここで詳しく述べる必要はないだろう(日本語では例えばこれを参照)。上記のような権威性以外に、とにかく時間がかかる(数カ月から時に1年以上)、学界で一般的でない革新的発見・理論が却下される可能性がある、ライバル関係の査読者が意図的に発表を遅らせる危険なども。逆に決定的欠陥が発見されないこともあり、例えばSTAP細胞騒動でも皆が知ったように、最高権威の『ネイチャー』でもチェックが不完全だった。あるいはこんな指摘もある。

「今日では、2、3人の査読者の意見に全面的に依拠するというやり方はいかにも時代遅れだ。彼らは当該論文審査に最適かどうかわからないし、多くの場合、そもそもその論文を読んでみたいとも思っていない人である。にもかかわらず、厳しい時間的制約の中で一定期間内に判断を下さなければならず、論文の正確性と価値の唯一の決定者になる。」(Eisen, VosshallらのASAPbioブログ

実際に査読をしたことがある人なら思い当たる節もあろう。

STAP細胞の件では、『ネイチャー』の査読が発見できなかった欠陥を、ネット上の多数の人、サイトの検証が明らかにした。こうしたインターネット上の「集合知」を現在の学術誌とその査読制度は生かせないのか。「ほとんどの科学論文が発表される現行制度は、インターネットが現れる数百年前から続いており、何世紀も変化していない。インターネットで可能となった新テクノロジーの有用性をほとんど活用できていない。」「インターネットを使い集合的知識を活用するシステムは、人間社会の他のほぼあらゆる分野を根本的に変革してきた。科学の分野でもそれが行われる時だ。」と言われる(上記ASAPbioブログ

オープンアクセスは査読問題を迂回

奇妙にも、オープンアクセス運動の主流は、査読をさほど問題にしない。必要なことは査読され学術誌論文を公開することであり、査読そのものは否定しない。様々な試みがあってよいが、その内実は問わないとする。また、同じ理由で、プレプリントの公開とも一線を画す。プレプリント公開は有益ではあるが、査読論文の公開であるオープンアクセスとは別物だとする。実際には、オープンアクセスの中に簡易査読が出てきたり、掲載後査読の試みが行われたりいろいろ動きがあるが、基本は何らかの査読を前提にしている。現実路線だろう。だから現在の拡がりが可能となった。オープンアクセスを語るハゲタカジャーナルの台頭を前に、査読の旗は安易に降ろせない事情もある。

「プレプリント+発表後査読」の提案

オープンアクセスが避けたこの間隙にマイケル・アイゼン(Michael Eisen)とレスリー・ボッシャル(Leslie B.Vosshall)が食い込んだ。生物学分野のASAPbioブログで、「プレプリントと発表後査読(Post-Publication Peer Review)を結び付け、迅速、安価、公正、かつ効果的な学術出版を目指す」提案を行った。発表されたプレプリント論文に対し集合知を生かした発表後査読を行っていく提案だ。オープンアクセスが避けた部面をむしろ中心に立て、新しい論文発表の制度を提言した。(学術誌への投稿とそこでの査読を廃止する提案なので、もはや「プレプリント」(掲載前の草稿)という言い方も正しくないかもしれない、と後の議論で彼ら自身が指摘している。プレプリント・サーバーが「本番」の学術誌に近い位置を占めることになる。)

ASAPbioは生物学分野で新しい学術発表と交流の在り方を追求する学術団体。物理学などの分野では早い時期(1991年)からプレプリント・サーバーが稼働して多数の論文が発表されていたが、生物学分野では歩みが遅く、2013年になって初めて同分野プレプリント・サーバーbioRxivが稼働した。2016年2月、プレプリント発表促進を焦点とした生物学界の会議がもたれ、これを契機に非営利団体ASAPbio (Accelerating Science and Publication in biology)が結成された。この会議に向けた提案の一つが、アイゼンらの提案だった。アイゼンはカリフォルニア大学バークレー校のコンピューター生物学者で、メガジャーナルに成長したPLOSの共同設立者でもある。自分のブログIt is NOT junkを主催している。

彼らは、プレプリント発表促進と査読制度の改革は不可分だ、と主張。現在の学術誌制度を温存してプレプリント・サーバーを導入しても、結局、掲載前査読に長時間かかるなど「非効率で、効果が薄く、参加しにくく、高価な」学術誌制度がそのまま残る、と指摘した。次の2つの回路で「発表後査読」を行うことを提案した。

1、組織的な発表後査読。当該論文に適した人材を選定して発表後査読を組織する。その内容は公開。さらにその査読活動は、助成団体、図書館、大学など関係者で組織する委員会が評価する。
2、個人による査読。論文を読んだ人がだれも発表後査読を行える。レビューを書きネット上に記録として残す。ただし、書き込みの前に剽窃その他がないかどうかの適切性、利害関係者ではないかなどはチェックする。レビューには著者本人も反論を書けるし、修正論文を出すこともできる。レビュー期間に期限はない。

発表後査読は、他にも様々な試みがなされており、特に有名なのは2012年から稼働しているウェブサイトPubPeerだ。多分野の学術誌の問題を匿名で議論できる(運営者は本人を確認している)。『ネイチャー』のSTAP細胞論文もまずここで議論が起こり、問題が明らかになっていった。

そうした動きがある中でアイゼンらは、学術誌掲載を経ず、プレプリント発表から即、発表後査読に向かう方向を提起したわけだ。しかも組織的な発表後査読を行うことも具体的な実施策を提示した。

改革へのインセンティブは?

英インペリアル大学の構造生物学者でステファン・カリーが、自身の科学ブログReciprocal Spaceでアイゼンらの提案にすぐ反応した。不満を持ちながら現状を容認する人が多い中では、将来への明解なビジョンを示すことが変革への大きな力となる、と敬意を表した。ステファン・ハーナッドの明晰な宣言書「転覆的提案」がオープンアクセス運動の引き金になったことにもなぞらえた。

と同時に、これを実現するにはまだまだ現実的なインセンティブが不足しているのでは、とも指摘した。学術誌制度から収入を得ている学会が、それをないがしろにする提案に飛びつくか。個人の自発的レビューがどれだけ出るか。レビューされないで終わる可能性のある発表媒体に研究者は投稿するか。「注意深く調整されたニンジンとムチのシステムを導入する必要がある」と指摘した。

ジョンズ・ホプキンズ大学の統計生物学者ジェフ・リークも、会議後の感想として自身のブログSimply Statistics上で同様の懸念を示している。「学界では皆、多くの仕事を求められ忙しい。多くの査読者は、単なる義務感か、あるいは特定学術誌で気品ある立場を維持したいという動機で、論文をレビューしている。この仕組みがなくなると、査読率は下がり、少数の論文しか査読されなくなる可能性が高い」と述べる。

掲載後査読PubMed Commonsの終了

成功している掲載後査読サイトPubPeerと同時期に試験運用がはじまったPubMed Commons(2016年から正式運用)は、2018年2月にサービス終了を発表した。これはPubMedに出てくる膨大な生物医学論文(メドラインなどを含む)にコメントできる掲載後査読サイト。しかし、PubPeerと異なり実名でのコメントを義務付けたこともあり2800万件の記事概要に対し6000件のコメントが付いただけだった(0.02%)。匿名ならともかく、実名で責任あるレビューを書くとなるとやはり投稿数は少なくなるようだ。掲載後査読について論文も発表している植物学者Teixeira da Silvaは次のように言う

「正直になろう。学者は、同僚の研究を名指しで批判するようなところを見られたくない。…PubMed Commonsは最終的には消える他なかった。アイデアが悪かったからではない。実際のところで役に立たず、重要なものになれなかった。」

匿名書き込みを認めればコメントは増えるが、別の問題が出てくる。多くのネット上コメント欄に見られるような無責任な書き込みが増える可能性がある。PubPeerのような匿名サイトは「高いモチベーションをもった『ニッチ』グループが主導権を握る傾向があり、他のインターネット・コメント・フォラムに見られるような『エコーチャンバー』(音響がこだまする部屋)現象が増幅し、…生物医学研究者のコミュニティーは圏外に置かれてしまう」との指摘もある

ASAPbioとbioRxivのその後

2016年2月の会議は盛況だったようで、前述の通り、これを契機に学術団体ASAPbioが発足した。2013年11月に稼働した生物学プレプリント・サーバーbioRxivも順調で、2017年6月に月間投稿数1000を越え、2018年11月段階では3万6000件を超えている(Advanced Searchの日付指定で検索)。アイゼンらの提案はまだ実現していないようだが、2018年2月の会議で再び査読制度改革を討議し、学術誌の査読内容報告書を公開しようとのオープンレターを発表した。審査過程を明らかにすることで編集責任が明確になり、論文の内容に対する理解が深まり、初学者向けの教育にもなるという。すでに査読報告書を公表している約300の学術誌が署名している。

ブログは?

筆者は、こうした困難がある分野で何らかの提案ができる立場にいない。しかし、科学的探究の中で査読がどのように行われ、人類の認識がどのように発展していくのかには大きな関心を払わざるを得ない。ネット時代に集合知がどう発展してくのかをこれほど典型的にテストしてくれている分野はないだろう。

加えて、もはや査読とは縁遠い地点に来て、まるで査読のないブログ書きをする自分にとって、有効な認識と社会的な発言を行う方法論は何か、とも自問する。本稿でも、多くの科学者たちが自ブログで活発に社会的発言をしているのを確認した。ブログの場合は、フリーライターとも違って、編集者レベルでのチェックもなく「何でも自由に」書けてしまう。だからと言って無駄ということはあるまい。「発表後査読」の方向で、「アイデアの市場」を通じ、集合知に貢献していく方法を私も模索している。