日本でもアメリカでも私は自転車を乗り回す。今も、とある病院へ20キロの山道を自転車で通う。なぜ自転車なのか。その理由は父母のDNAにある、ということが最近分かった。
父と母は、終戦直後に栃木県北東部の小さな郵便局で働いていた。やがて母が大叔母(祖父の妹)宅で花嫁修業をするため、茨城県北部の村に移った。大叔母には結婚させたい遠縁養子が居たらしい。
そこで父は、自転車をこいで、「首都圏に最も近い秘境」と言われる八溝(やみぞ)山地を越え、母の許を訪ねた。大叔母は狂乱のごとく怒ったが、やがてあきらめ、母を栃木の実家に帰す。二人の仲は村中で知られるところとなり、母はしばらく蟄居を余儀なくされたが、やがて半年後にめでたく結ばれる。(参考:岡部カツヱ『私の昭和史』)
そうして生まれた長男が私だった。山道を延々とこいでいった自転車が二人を結び付けた。そのDNAが私のどこかに残っているのかも知れない。
本日1月1日、母、93歳の誕生日。余命1~2カ月を宣告され、病床に居る。