コロナ・ワクチンを受けてきた

コロナ・ワクチン接種場所となったサンフランシスコ都市圏コントラコスタ郡マーティネスの地域保健センター。筆者は2月8日にここでワクチン接種を受けた(ファイザー社製、2回接種のうちの初回、無料)。午後の最初だけ人が並んでいたが、おおむね並ばずに入れた。入口のすぐ右側に大きなテントが張られている。接種後の人がそこで15分間待機する。接種はオンラインで予約して行く。コントラコスタ郡では1月半ばから65歳以上の接種がはじまった。

ワクチン予約日の2月8日は、予報が外れていい天気になった。サイクリングに絶好だ。20キロ離れたコントラコスタ郡庁所在地マーティネス市の郡立保健センターまで比較的平坦な道を快適にこいだ。用意周到すぎてかなり早く着いてしまった。付近の丘やジョン・ミューア史跡(後述)を散策して時間をつぶし、予約の午後1時50分に再び保健センター(George & Cynthia Miller Wellness Center)へ。

あまり混んでいない。午後の始まりの時だけ人が並んでいたが、以後はほぼ並ばず中に入れた。入ってから何度か並ぶ個所があったがそれでも注射を打つ段階まで10分程度だった。案内係や警備員、書類関係の事務員、もちろん医療関係者など多数のスタッフがきびきびと動いていた。接種を受ける人はオートメ式に流される感じ。保健センターの前に大きなテントが張られ、10~20人の人が間隔を空けイスに休んでいる。接種が終わってから副作用の様子を見るため15分ほどここに休憩するという。

入口で本人確認をはじめ、アレルギーはあるか、熱はあるか、何か症状はあるか、いろいろ聞かれ、入ってから窓口でまた同じことを聞かれ正式手続き。さらに別室に行き医療専門家らしき人から同じことをより詳しく聞かれる。ずいぶん何回も聞かれるものだ。

「きょうの健康状態は?」「健康だよ。ここまで自転車で来たくらいだ。」

「ほう、どこから?」「コンコードからだよ。」

「ほほう。」

相手が気さくな若者だったのでついつい会話(質疑応答)が弾んでしまった。一通り会話が終わり、次はどこに行くのかと思っていると「どれどれ左手をめくって」。なんだ、この若者が医者だったのか。

注射はあっという間に終わった。筋肉注射だというが、皮膚の表面をペペッとつついただけの感じ。零下75度で保存していたワクチンだから冷たく感じるのかと思っていたが、それもなかった。

「え、もう終わり?」「そう!」

会話終了で、胸に注射終了のタッグが貼られ、また次々に係に案内され、休憩用の巨大テントに移動する。最初はテントだと気づかなかった。比較的密封され、冷たい外気はあまり入ってこない。前に医療スタッフが何人か、機器を用意して構えている。グテッとしている人には「大丈夫か」「何か副作用か」などと聞いてまわっているので、元気よく背筋を伸ばして座り、まわりを観察していた。スマホを見ている人が多い。15分たって「行ってよし」になった。

接種所内は写真を撮るのがはばかれたが、この休憩所ならいいだろうとスマホで撮った。が、後で見るとなぜか撮れていない。へぼカメラマン。

胸タッグも1回目接種証明カードも、名前が本名でなくAkiというニックネームになっている。これでは、旅行の時などにパスポート名と異なりまずいのではないか。スタッフに聞くと、本名はちゃんと記録してあるから大丈夫だという。そういえば、予約登録の際、名前を何と呼ばれたいか記入する欄があった。アメリカの医療機関では、患者と人間的な関係が結べるよう名前の呼び方にも配慮するようになっている。(常にニックネームで呼べばいいという訳ではなく、時には高齢者に尊敬の念を込めてMr.だれそれ、Mrs.だれそれ、あるいは(例えば修道女なら)シスターだれそれ、などの敬称で呼べば関係が深まるという。)

外に出ると、建物周囲でぶらぶらする人たちが何人も居る。ベンチがあるので座っている人も。念には念を入れて副作用が起こったときのため、周辺にしばらく居るということらしい。賢い選択だ。

私は、再びサイクリングで快適に帰宅。特に副作用はなかった。若干徒労感があり、熱っぽい感じもしたが、往復3時間自転車をこいだらそうなるのではないか。どんな注射でも打てばそこに鈍痛が残るが、その症状も2日たつと消えた。(ただし、友人でもモデルナのワクチンを受けて3日たってから倦怠感などが出て寝込んだ、というケースがあった。)

参考写真:ファイザー社の新型コロナ・ワクチン。3週間の間隔をおいて2回接種する。今回私が受けたワクチンもこれだった。DoD photo by Lisa Ferdinando, CC BY 2.0, Wikimedia Commons.
参考写真:メリーランド州の軍病院でワクチン接種を受ける医師。2020年12月。DoD photo by Lisa Ferdinando, CC BY 2.0, Wikimedia Commons.
ワクチン接種後、入口付近に居ると、トラックが来て、低温貯蔵されたような物質を別の容器に移して搬入していった。もしかしてこれはワクチンか。写真左の保健センター関係者に聞くと、違う、違う、ナイトロジンなんとかで、センターに日常的に搬入するものだと言う。
近くの丘に登ると郡都マーティネスの街がよく見える(街はずれだが)。ふもと右の大きな建物が郡立総合病院。その裏手(左手)にワクチン接種会場となった保健センター。入口に人だかりがある。

昨年12月から接種がはじまった

米国では連邦食品医薬品局(FDA)が昨年12月11日に米ファイザー社・独ビオンテック社共同開発ワクチン、同18日に米モデルナ社開発ワクチンを緊急使用許可し、全米への配備をはじめた。カリフォルニア州では12月14日から、医療従事者などへの接種がはじまった

カリフォルニア州のワクチン接種計画は、4段階(1A、1B、1C、2)に分けられ、最初の1Aで医療従事者、高齢者施設居住者が対象とされた。現在は、多くの郡で次の段階1Bに進んでいる。65歳以上の高齢者、及び教育・保育、救急対応、食品関係などの業界従業者対象だ。段階2になれば16歳以上全員対象の最終段階。

米国疾病予防管理センター(CDC)の集計によれば、2月11日朝の段階で、全米でワクチン68,285,575回分が配備され、うち46,390,270回分(67.9%)が実際に接種された。カリフォルニア州では7,822,300回分配備、うち5,134,864回分(65.6%)接種。同州全人口10万人当たり12,996回分相当の接種(人口の13%)となる。

スピード重視

当初、カリフォルニア州は職業別、基礎疾患の有無など細かい基準をつくり、75歳以上の高齢者を優先する方針を打ち出していた。公正な接種を行うべく細かい基準を策定したが、その細かすぎる基準が返って接種拡大を遅らせているとして、より単純な年齢重視路線に軌道修正してきた。特に1月14日に連邦政府が65歳以上での接種などを勧告したのに応じて、州もそれを採用した。カリフォルニア州では1月12日の段階で、配備されているワクチンの30%(81万6600回分)しか接種できていなかったという。

州の方針がころころ変わりすぎるとの批判も出ているが、実際の経験の中で柔軟に戦略を変えていくことも必要だろう。正確、公正を期して細かい施策を行うのはいいが、それで接種が遅れ、不足しているはずのワクチンが大量に余るようでは本末転倒だ。コロナとの闘いの最重要課題「スピード」の方も忘れてはならない。

(このあたり、優秀な官僚機構を擁する日本では、担当者が徹夜してでも細かい基準に合致した接種を行おうとすることが予測されるので、参考にしてもいい。コロナ給付金なども日本での実施は遅れた。米国の対応は早く昨年4月には1回目の小切手が送られてきていた。)

オンラインで予約

州の方針はあくまで勧告(アドバイス)だ。実際の接種は州内58の各郡が実情に合わせ行う。私の住むコントラコスタ郡は比較的早く1月半ばから65歳以上への接種策を取った。そのニュースを見て、私もすぐ18日にオンライン申請した。

電話での申し込みも可能だが、手続きは主としてオンライン経由。その方が迅速で、簡便だろう。電話で自分の各種情報を伝えるなど大変だ。予約も自分で全体の空きを見ながら選べる。ただ、オンライン操作に慣れていない高齢者、低所得者層などには不利になるかも知れない。

また、郡に申請する以外に、保険の関係などでかかりつけになっている医療機関系列に申請する方法もある。当初カイザー系列で接種が始まったとの情報が友人間で流れ慌ててそこに申請する動きなどもあった。それで早い予約を取れた人もいたが、すぐにふさがり、結局郡を通じた方が早く予約を取れた模様。とにかく接種をめぐってはいろいろ事態が混乱していた。

混乱と言えば、予約者が来ずワクチンが余った場合、廃棄を避けるため周囲に居た人に緊急接種するなどのこともあったようだ。コントラコスタ郡ではウェブ上で「予約なしには来るな」と警告し、接種会場の情報さえ公開ウェブ上には出していない。機密扱いか、と苦笑した。後述の通り予約の際にはそのリストが見られるが、私はそこで印刷(かコピー)しておかなかったので、予約終了してから再び確認することができなくなった。

登録したが、なかなか返事が来ない。「登録を受け付けました」の自動返信メールも来ないので、私は、操作を誤ったかと勘違いして登録を2回行ってしまった。約2週間待ち2月1日に連絡が来た。正式にオンライン予約せよとのメールだ。一旦申請しても何らかの順番があり、準備が整ってから正式予約をする手はずらしい。アレルギーはあるか、緊急性の高い仕事についているかなど細かい設問に再び答えた後、郡内10カ所ほどの接種所の空き日時から予約を入れる。家から一番近い接種所は満員で当面の空きがなかった。次に近いマーティネス市の接種所に1週間後から空きがあったので、そこに2月8日の予約を入れたという次第だ。

予約が空いている地域も

同じ郡の中でも、リッチモンド市、サンパブロ市、アンティオック市などすぐ予約の入れられる接種所もあった。マイノリティの人々が多く住む地域だ。黒人やヒスパニックの人たちのワクチン接種が遅れていることが問題になっている。だが、そうした地域の予約がこんなに空いているのだから、優先順位に差別があるわけでなく、いろいろ他の事情がありそうだ。マイノリティの間にはワクチンに対する不信感があると聞いた。オンライン利用に慣れていない、ワクチン接種を考える余裕がない、などなども。情報配布活動を含め事情に見合った支援策が必要だろう。

地域保健センター

マーティネス市は小さな街だが、コントラコスタ郡の郡庁所在都市だ。資力のない人たちにも医療を提供する郡立総合病院(Contra Costa Regional Medical Center)があり、それに隣接する郡立保健センターがワクチン接種所となっていた。医療保険に不備のある米国では、2000年代以降、低所得者へのプライマリケアを保証する地域医療機関「保健センター(health center)」が拡充されてきている。ここもそうしたセンターの一つだ。コロナ禍の中でも、検査その他で前線に立ってきた。ワクチン接種でもその先頭に立つということだろう。

2回目接種の予約

1回目接種から帰宅し、すぐ2回目を予約した。オンラインで自分の予約アカウントにアクセスすると、自動的に3週間後以降の予約日が出て来る。今度は3月1日に、家近くのコンコード市内の接種所が予約できた。1回目の接種で半分ほどの免疫ができ、2回目接種の後14日程度でほぼ完全に近い免疫ができるという。コロナ死亡が50万人に迫るアメリカで(日本は約7000人)、どうにか生き延びられそうになってきた。


(散策コーナー)ジョン・ミューアゆかりの地

コロナ・ワクチンとは直接関係ないが、マーティネスは自然保護運動の父として世界的に有名なジョン・ミューア(1838 – 1914年)が暮らした場所だ。シエラ・ネバダ山系、特にヨセミテの自然保護に努め、「国立公園の父」とも呼ばれる。現在世界中に広がっている国立公園という制度をヨセミテの保護活動から生みだした人、また、米国環境保護団体の大御所シエラ・クラブの共同創設者で初代会長を務めたことでも知られる。ナチュラリスト的な執筆作品も多い。

そのミューアが、主要な活動を行う1890年から1914年の死去まで住んでいたのがここマーティネスのアルハンブラバレー地域だった。当時は今よりさらに自然に囲まれ、義父と共同経営する1100ヘクタールの果樹園の中に家族の家があった。現在、それが国史跡に指定され、国立公園局が管理する自然教育の場になっている。何と、それがコロナ・ワクチン接種会場はそのすぐ近くだった。エコロジストを自認する私だから、行かないとバチがあたる。予約の2時間くらい前に着き、ここを散策した。

ジョン・ミューアが家族と暮らした家。国の史跡として国立公園局が管理する教育の場になっている。
史跡の入り口。新型コロナのため、邸宅(中央)の建物内や写真左の博物館には入れないが、屋外に様々な教育資料が置いてあった。
この辺の主要道アルハンブラ・アベニューからアルハンブラバレー・ロードが分岐する地点に「ジョン・ミューア記念公園」があった。銅像にいかめしい威厳がなく、気さくなのがいい。