アレキサンドリアに行ってきた

エジプトの鉄道、外国人向け3.5倍値上げ

日帰りでアレキサンドリアに行ってきた。カイロから電車でもバスでも3時間の距離。行って無茶苦茶に歩いて帰ってきただけかも知れないが。

重要発見があった。昨年12月15日から、外国人の鉄道料金は平均3.5倍値上がりになった。今回の私の場合、カイロからアレキサンドリアまで最も安い2等料金が、通常55エジプトポンド(240円)のところ、465ポンド(2050円)払わなければならなかった。実に8倍だ。帰りはバスにしたが、アレキサンドリアからカイロまでGo Busで100ポンド(440円)。これではバスにせざるを得ない。かつてはバスは割高、鉄道はコスパがよい、というのがエジプト放浪の常識だったが、それは終わったということだ。

外国人は別の部屋に行って別途切符を買わなければならない。ドルの現金で払うのが基本。エジプトポンドでも払えるが、クレジットカードは使えない。ATMでエジプトポンドを引き出してくる必要があった。駅内にATMはないので一旦出直しだ。

外国人にドルを落としてもらわないと困る、という事情はわかる。これまでの55ポンド(240円)が安すぎたと言えるのかもしれない。しかし、これほどの差が出ては外国人の鉄道利用がなくなるのではないか。

この値上げの件はまだ日本語のウェブページにはどこにも出ていなかった。重要情報なので出しておく。

アレキサンドリア行きの切符として2枚もらった。右が55ポンドの通常の切符(と思われる)。これで自動改札を通る。それに加えて何やらいろいろ書いてある左の領収書のようなもの。計465ポンドを払った。
外国人向け切符売り場に貼ってある運賃表。アレキサンドリア(Alex)行きは左端の下にある。一等にも二等にもVIP料金と普通料金がある。Talgoとはスペインから導入した高速列車をさすようだ。一等Talgoの30ドルから二等普通15ドルまである。

エジプト列車の旅

カイロ中央駅(ラムシス駅)。
カイロ駅の改札口。外国人向けの切符売り場はエスカレーターで2階に上がり(カフェテリアになっている)左側をずっと先まで行ったところにある。
カイロ駅のプラットフォーム。
右側が私の乗った2等列車。順番が前後するが、アレキサンドリアの駅(マスル駅)に着いた時の写真。アレキサンドリアまで特急なら2時間だが、3時間かかる快速程度のようだ。外側が砂ぼこりでかなり汚れている。窓も汚れているのでいい車窓写真は撮れない。
列車内の様子。予約システムがしっかりして全員座れている。車体は古いが、つくりは頑丈でエアコン付き。座席も広く、「快速」ながら、日本の在来線特急列車並みの居心地だ。スピードもそれくらいは出ている。車内販売もある(後ろ向きの赤い制服の人)。私は42年前、鈍行列車でエジプト旅行をしたが、寝ていると(口を開けて寝ていたため)窓からの砂ぼこりで口の中が砂だらけになる状態だった。駅でも、満員電車に窓から飛び乗って来る乗客が居てびっくりしたものだ。42年でやはり随分変わっている。車内販売の前では車掌が乗客の切符確認を行っているが、後に拳銃を持った警官を伴っている。これも変わった。
列車はカイロを出ると、ナイルのデルタ地帯を走る。写真のような田園地帯が続く。と言いたいところだが、結構、次々と街が現れる。街が切れても家や集落があり、このような「絵になる田園風景」を撮るのに苦労した。
作物は野菜もつくっているようだが、やはり麦(冬作)が最も多いようだ。そろそろ収穫の時期だろう。夏になると水田になりそうな真っ平らな耕地が多い。エジプトでは日本から導入したジャポニカ米(品種名:ヤパニ)を生産しており、このナイルデルタ地域が生産の中心だ。2020年には489万トンを生産し、日本の971万トンの約半分(国連食糧農業機関の統計)。水稲は水を大量に消費するということで問題視されているとのこと。

アレクサンダー大王がつくった街

アレキサンドリアの駅(マスル駅)を出るとすぐローマ円形劇場の遺跡があった。古代ローマはその帝国内各都市で劇場、競技場、浴場などの公共施設をつくった。アレキサンドリアはマケドニア出身のアレキサンダー大王によって紀元前331年に建設された。大王の死後、その部下のプトレマイオス1世(紀元前367年 – 紀元前282年)がここを中心にプトレマイオス朝を創始した。ギリシャ系だが王がファラオとして君臨するなどエジプト王朝の色彩を強めた。この最後の王が有名なクレオパトラ( 紀元前69年 – 前30年)だ。強大化するローマのシーザーやアントニオらとのロマンスが名高いが、結局王朝は前30年、ローマに滅ぼされ、エジプトは属州となる。しかし、アレキサンドリアはヘレニズム、ローマ時代を通じて地中海貿易の中心地として繁栄し続けたし、特に多くの学者を輩出し、「ムセイオン」(博物館)や大図書館を建設するなど文化的な中心であり続けた。アレキサンドリアは現在でも人口600万を擁し、地中海世界の最大都市だ(アテネは400万、ローマは300万)。
古代のアレキサンドリア図書館。古代における最大かつ最も影響力のあった図書館。古代エジプト最後の王朝プトレマイオス朝の時代、紀元前285年~同246年頃に創設された。パピルス文書など最大で4万巻から40万巻が所蔵されていた。この図書館の存在により、アレキサンドリアは地中海世界における学問の中心としての地位を不動のものとした。画:O. Von Corven, Wikimedia Commons, public domain
古代アレキサンドリア図書館は、ローマ施政下の3世紀までには、戦乱などで破壊された。その場所に新たなアレキサンドリア図書館をつくろうとする動きが1970年代から始まり、2001年、ユネスコとエジプト政府共同で新図書館が完成した。11階建て、総面積8万5000平方メートルで、800万冊が所蔵できる書架がある。建物を覆う巨大な半円形の壁には世界諸言語の文字が刻まれている。中国語の漢字以外に、やや後の方だが日本語の文字も見える。「音…と詩」とある。…の部分がよく読み取れないが「楽」のつもりか。
古代ギリシャ世界で「世界の七不思議」としてまとめられた驚異的建造物の一つ、ファロスの大灯台がアレキサンドリアの沖合の島にあった(建設時の埋め立てで半島の先になった)。プトレマイオス朝時代の紀元前3世紀に建造された高さ134メートルの巨大建築だった。平坦なアレキサンドリアでは入港する船に目印がないためつくられたという。14世紀の2度にわたる地震で崩壊し、1480年頃、マムルーク朝のスルタンが跡地に「カーイト・ベイの要塞」(写真中央)を築いた。1968年に海底から灯台の一部と見られる遺跡が発見され、1990年代以降研究が進んでいる。
古代アレキサンドリアがあった付近の海岸。アレキサンドリアは「地中海の真珠」と呼ばれ、海岸はイズミール(トルコ)やテッサロニキ(ギリシャ)と雰囲気が似ている。
地中海の幸かナイルの幸か、市場には魚が売られていた。
アレキサンドリアの現在の中心部Ahmad Orabi Street。港にも近い。
アレキサンドリア港。エジプト最大の港湾で、同国国際貿易の55%を担う。

帰りはバス、快適だった

アレキサンドリアの長距離バスターミナル(Moharam Bek Bus Station)は町はずれにある。港や駅(マスル駅)から歩くとかなり遠い。しかもあまり使ってなさそうな鉄道線路もあって、遠回りをしなければならない。しかし、高速道路と線路に挟まったKarmous地区の住民に教えられながら近道を見つけることができた。バスターミナルの近くに、写真の通り線路脇壁に切れ目があり、出入りできる。
そこから出てくると、この巨大なMoharam Bekバスターミナルに入る。ほとんどがマイクロバスの発着場だが、その端の方に長距離大型バスの発着所もある。
長距離大型バスの発着所。多くのバス会社の窓口があるが、大手のGo Busで切符を買うと100ポンドだった(ウェブサイトで買うこともできる)。ちょうど午後6時の便がすぐ来るところだった。深夜も含めて1日に11便ある。
車内もきれいだし、さほど混んでもいない。確かに列車に比べると座席は狭いが、隣にだれも座らないので余裕がある。驚いたことに車内にトイレがあった。東欧のバスの旅で一度も経験しなかったことだ。確認しなかったが、無料WifiもUSB電源もあったはずだ。これで料金が4分の1なら、だれも鉄道に乗らなくなるぞ、と思った(Go Busについてここが詳しい)。カイロに着くまで渋滞はまったくなかった。何しろ砂漠の中にいくらでもつくれる高速道路だ。片側4車線。中央分離帯はケチな柵などではなく、アメリカと同じように数十メートルの広い窪地。合計幅100メートルもあろうかという高速道路を猛然と突っ走り、3時間でカイロに着いた。
カイロではギザ(動物園近く)とタヒール広場(市バスターミナル近く)で停まった。私はそこで降りたが、バスは東部郊外のNasr Cityまで行きそこが終点のようだ。写真は、タヒール広場近くのGo Busの事務所・待合所(昼間撮影)。