バッグを盗まれた

空港行き市バスで置き引き

最後にやられた。カイロを発つ日、空港行きバスが終点に着く直前、かたわらに置いていたバックパックがないのに気づいた。

「ない、俺のバッグがない!」

立ち上がって大声で叫ぶ。運転手にも場所を指差して「ここだ、ここに置いていたのに、ないんだ!」と叫ぶ。

運転手は驚いてチラっとそっちを見たが、それだけだ。(そりゃそうだろう、取ったやつを捕まえに行ってくれるとでも言うのか。)

バスがターミナル入口で速度を落としたので、私はドアから飛び降り、ひとつ前の停留所の方に駆け出した。何人かが降りた時、だれかが私のバッグを持って行ったように思ったのだ。

広い空港の、何かがらんどうの施設付近のバス停だった。火事場のばか力。もう一つの重い方のトランク型バックパックを背負って私は走った。(ぎっくり腰に注意しなさい。)

バッグもなければ怪しそうな男もいない。子連れの夫婦が多くの荷物をカートに載せている。一応チェックしたが、もちろん私のバッグはない。

それはそうだ、直前停車時にやられた確証はない。もっと前に持ち去られていたかも知れない。

油断があった

後でゆっくり考えれば、明らかに油断だった。地下鉄駅から1138番の市バスに乗り換えるとき、バスがなかなか来なかった。やっと来て乗れた時、「やった、これで間に合う」と思った。困難なカイロでの課題を全部やり遂げたと思った。注意するのをやめたわけではないが、どこかにすきができたのだと思う。

バスは混んでいた。前の方に乗った私は、乗降客のじゃまにならないよう荷物を左右の窓際に置いていった。前輪の盛り上がり個所だ。バスが徐々に空いてくるにつれ、右の席に座った。目の前に大きい黒いバッグ、左に小さい黒いバッグがあつた。立つ人はほぼ居なくなり、両方とも私の視界内にある。大丈夫だ、と思った…

ところがである! という事なのだが、やはりボケッとして外でも見ていたのだろう。あるいは多人数が降りた時、犯人はそのスキに乗じて素早くブツを持ち出したのかも知れない。その鮮やかな手さばきに感嘆せざるを得ない。

うろたえの一部始終

なーんて思うのはずっと後のことだ。その時私は必死だった。動転していた。直前バス停を調べた後、すぐにバスターミナルに戻った。バスはもう居なかった。着いてすぐ再出発したらしい。もう一度車内を確認しようと思ったのだが。

ターミナル事務所に行って、「俺のバッグが盗まれた。今着いたばかりの1138番のバスだ。車内でとられた。」

いつも気難しそうにしている男は、うろたえて「あっちだ。ポリースに行け」とターミナル内の派出所らしいところを指さす。そこに行き、同じことを繰り返す。

「あっちだ」

要領を得ない押し問答のあと指示されたのは、近くにあるという警察署。建物の間をさまよい、普段は近寄りもしない役所に入る。入口付近で押し問答。らちがあかず、偉いさんが居るような部屋が開いているのでそこに入る。

まったく最悪の時に盗難が起こった。飛行機に乗って出国する直前、出発が押し迫ったとき。十分な対応をとる時間がない。私は動転しながらも、「正しい行動をしなければ」を念じた。危機のときこそ人間が試される。あわてて更に失敗して傷口をひろげることもある。冷静になれ、大切なことは何か。何より出国手続きして飛行機に遅れないことだ。そうだ、尻ポケットに入れていたパスポートは無事だぞ。これがなくなっていたらさらに大変なことになっていた。

不幸中の幸い。少し安堵した。

署長?室でも同じやり取りを繰り返した。正式な調書や盗難届手続きをする時間がないのはわかっている。その場で紙切れにササッと事情を書いて渡した。「もし見つけたらここにメールしてくれ」と。

「英語で書かれても困る。君はアラビア語はできないだろ。それと同じだ。困るんだよ。」

何言ってる、こっちだって外国語の英語を苦労して勉強してきたんだ。などという議論をここでやっても始まらないのはわかっている。それより、空港ターミナルに行けば英語のわかるTourist Policeが居ると彼が言ったことに反応。メモを取り返して、出発する第一ターミナルにむかった。

クレジットカード

観光振興をはかる多くの国がツーリスト防護専門の警察を置いている。外国語に長けた警官を雇っている。まずそこに駆け込むのが正解だ。しかし、時がせまっていた。ターミナル建物に入る荷物検査、チェックイン、出国審査、ゲートに入る検査…それらにいちいち長い列ができている。ツーリストポリースの場所を探す余裕はなかった。

その間にもやらなければならないことがたくさんある。クレジットカードが取られている。すぐ止めなければならない。しかし、どこに電話したらいいのか、手帳もバッグの中だった。パソコンも取られた。だいたい小さい方のバッグというのは大切なのを入れておくものだ。あー、あれも。ウォー、あれも。なくなったものを頭の中でいろいろ確認する。(これ、大事。ものによってはすぐ対応しなければならない場合もあるから。)

クレジットカードは家族に頼むことにする。幸いスマホ2個のうち、ポケットに入れてた1個は残った。珍しくエジプトでは携帯通信に入つたが、そのSIMが刺さっている方だった。国際電話はできないが、LINE電話がかろうじて息子につながった。対応をお願いできた。

命、パスポート、パソコン

あったかいカイロからやや寒いイスタンブールに飛ぶ。ジャンパーやセーターなどを、あの小さいバッグに押し込んでいた(それでかの泥棒はいろんなものが沢山入っていると誤解したのだろう)。飛行機の中で震えていた。イスタンブールに着いてすぐ、厚いトレーナーを買った。

そうした細かい不便はいろいろあったが、最大のダメージはパソコンだった。パソコンがないと何も書けない。いろいろ調べるのはスマホでもできるが、書けない。メールもブログも書けない。いや、今ではフリック入力というのがあって、慣れればQWERTYキーボード並に速く打てるらしいが、タイプライターの時代から50年もそれに馴染んだ身では移行できない。

書けないとしゃべれないと同じだ。表現できない。言葉を奪われた。その他にもパソコンを使ってやっていたことは実に多い。旅行で命の次に大切なのはパスポートだが、その次に大切なのはパソコンだとつくづく思った。

こっちで安い中古パソコンを買うか、家にある予備パソコンを送ってもらうか、購入送付代行サービスでヤフオクあたりから仕入れるか。なつかしいイスタンブール戻って、感傷にひたる間もなく動き回る。

しかし、その間にもとにかく書かねばならない。難関のフリック入力に挑戦してこれを書いた。3日かかった。泥棒に負けてたまるか、これが俺のリベンジだ、という気持ち。不十分なところはお許し下さい。あとで直します。