夜汽車で旅立ち、あてなどなく、44℃のタシケント

夜汽車と夜の飛行便

1970年代初めにこんな歌がはやった。「♪今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ。あてなどないけど、どうにかなあるさ。」(かつやまひろし「どうにかなるさ」1970年4月発売シングル)

私は、間違ってか意図的にか「今夜も夜汽車で」と歌っていたように思う。当時、夜汽車で当てのない旅に出る若者が多かった。今では、夜行列車そのものがほぼなくなっているだろうが。

その代わり、空を飛ぶ夜行便に乗り、当てのない旅に出る若者たちの時代になった。前期若齢青年も後期高齢青年も。

飛行便、とくに国際線は星のまたたくく夜空を飛ぶことが多い。「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は…」などと口ずさむかどうかはともかく、窓辺に身をよせまどろむ若者たちが多くいるはずだ。

夜行列車で寝れば、安上がりで効率的にいろいろなところを回れる。かつては駅で寝る者も居た。今、夜の駅は閉じられてしまうだろう。しかし現代の大規模国際空港は24時間開いていて、鉄道駅よりはるかに野宿しやすいスペースを提供している。遅延や欠航、乗り継ぎ失敗で、航路が変わることもある。時刻表はないが、スマホ予約サイトと空港無料Wifiはある。着いたところでまた新しい飛行便を検索する。空の夜行便は、かつての夜汽車と違い、至るところに関所がありビザ・出入国手続きで困惑させられる点は違う。しかし、若者たちの歴史は続くのだ。

後期高齢青年は無理しないように

が、後期高齢青年は、無理をすると体にこたえる。適当に抑えた方がよい。旅とは突然見知らぬ環境に放り出され、七転八倒することだ。え、バクーでなくてタシケントかよ。地図も持って来なかったぞ、グーグルマップのオフラインマップもダウンロードしてない。そして、何て暑いんだ。着いた7月4日の最高気温が44度。翌日のきょうは41度だ。日本より暑い。もっと北の国に行く予定だったのだが。

確かにユーラシア大陸ど真ん中の乾燥地域なので、日陰ならしのげないこともない。が、それも40度を超してくると無理だ。直射日光下では意識がもうろうとする。空気が乾いている分、喉もかわく。かなりドリンク類を飲んでしまう。汗がすぐかわくから日本のように「汗だく」にならなず気づかないが、相当発汗している。普段あまり飲まないコーラなど炭酸水を体が欲しがるのも不思議だ。小泉農水相がコメ供給増とブジャブにしなければならない」と言っているように、体の中をジャブジャブにしなければならない。

エアコンは必須

エアコンの効く少し高い宿に入ったのは正解だった(と言っても1泊2000円)。どこの国製のクーラーだ、これは。静かで優しい涼風を送り続けてくれる。朝の涼しいうちに外を歩き、昼間の暑いときには部屋で寝てればいい。

と思っていたら、午後の熱暑時に停電になった。外が41度なら西日の差すこの部屋は何度なんだ。死ぬぞ。

幸い市バスが冷房付きだ。これに乗って市内観光しよう。雨の日は市バスに乗ったまま市内観光をする常套作戦だるが、この暑さの中でも同じ作戦をとる。

冷房の効いた市バスに退避

タシケントの市バスは優れていて、一乗り1700スム(20円)と安い。しかもクレジットカードを機械にかざすだけで料金を払える。スイカとかマナカとか訳の分からないカードをいろいろ集める必要はない。お上り旅行者に優しい。来たばかりでも、普段使うカードを財布から出してかざせばいい。一定額以上の買い物でないとクレジットカードは使わせない、ということが多いのに、20円の料金支払いにカードが使えるというのは不思議だ。どういう仕組みになっているのか。

宿のすぐ前がバス停で、そこから78番、97番のバスに乗れは、それぞれ別ルートで市中心部をまわり、タシケント駅(北駅)にたどり着けることがわかった。便利だ。

夜も停電が続く

あちこち市バス観光して、夕方帰ってくると、何と、まだ停電が続いているではないか。どうする、夜寝れるか。Wifiも停まったままだ。バッテリー切れになったPC、スマホにパワー供給もできない。懐中電灯も持ってきておらずトイレに行くのも困る。(水回りが稼働していたのは素晴らしい。本当の災害時ではない。)

息子からもらった廃棄処分手前の中古スマホを予備にもってきたのが幸いした。機能的にほとんど使えないが、スイッチは入る。画面の明るさが懐中電灯代わりになる。

風を入れようと窓を開けると交通騒音がうるさい。昔、米カリフォルニア内陸部で鍛えられたように、水に濡らしたTシャツで寝るという作戦をとるか。思案しているうちに突然電気がついた。一件落着。

きょうは土曜日だから電気が休みなのか。翌日曜日も昼の時間帯に停電になった。休みには修理する人が出てこないので直せない? まさか。いやしくもタシケントは中央アジア最大都市(人口300万)にして発展しているとされるウズベキスタンの首都だ。そこが慢性停電とは。タシケント国際空港が停電したこともあるというから驚く(この6月にも)。後日のことになるが、タシケントの後、カザフスタンのシムケントに行ったとき、そこの宿でも午後の熱暑時に停電していたのでおどろいた。前途が心配になる。熱暑の中で停電になると命も危険だ。

ナミビア奥地、アフリカ先住民サン族の集落(ツムクェ村)に住んだことがあるが、あそこでも停電はほとんどなかった(40日のうち1日だけ*。毎日朝夕に太陽光発電とジーゼル発電が切り替わる時、数秒の停電があったがそれはたいしたことではない)。

*ただし、あそこでは別の問題があり、1日停電で困った。村にATMがなく現金が十分確保できない中、クレジットカードが使える店で食糧などを確保していたが、それが使えなくなった。食えなくなる。補助電源のない安宿でネットを使えなくなったのも打撃だったが、非常用電源を備えた地域公民館でWifiを使わせて頂けた。

とにかく北へ

突然降ってわいた進路変更でタシケントに来た。宿に入ってからじっくりルートを考え直そうと思っていたが、「じっくり」できない。とにかく涼しいところに行かねばの一点あるのみ。シムケントからアラル海近く、カザフの首都アスタナ、と北上する。停電になっても死なないところへ。

タシケントの街

ウズベキスタンの首都タシケント(人口300万)には前に来ているし、悠久の歴史を感じさせるシルクロードの遺産はほとんど残っておらずあまり触手が延びない。13世紀にモンゴルに破壊され、1865年からの帝政ロシア支配下で、トルキスタン総督府の首都としてロシアの中央アジア支配の拠点となった。ロシア風の街づくりが行われ、それも1966年の大地震で壊滅し、その後「革命的労働者」によるソ連風近代都市建設が行われた。道路にしても建物にしても広大にひろがったソ連型まちづくりを調べたいというならおもしろいだろうが。

タシケント駅(右手の古い建物)。写真の左手に市バスのターミナルがあり、多くの市バス(左手に走っている緑色の車体がそうだ)がここを終点にしている。タシケントには地下鉄網もあり、移動に不自由しない。いずれもクレジットカードを機械にかざすだけで乗れる。料金も20円程度。
新市街中心部、チムール広場のチムール像。チムール(1336 – 1405年)は、中央アジアを中心に西はトルコ半島、東はインダス流域に至る広大な帝国(チムール帝国)を築いた。首都は現ウズベキスタンのサマルカンドにあり、ウズベク人にとっては民族の英雄。
2007年12月にも同じ場所に来ている。あの時は寒かった。チムール像も雪をかぶっていた。内陸の中央アジアは冬極端に寒く、夏極端に暑くなる。

チムール博物館

後日だが、その広場の北にあるチムール博物館を訪れた。
チムールの足跡をたどる壁画、絵画などが展示されている。
チムール帝国の支配領域。中央アジアからイラン、メソポタミア、コーカサス、一部インドにもまたがる。最盛期にはアナトリア(トルコ半島)、ウクライナまで侵攻した。
イスラム建築は、偶像が禁じられている分、壁や天井の文様がすばらしい。
チムール朝下の人々の暮らしを活き活きと描いた絵画も見事。
特にこの絵が素晴らしかった。戦いの絵は勇ましいものになりがちだが、苦しい戦いに参加する人々の厭戦情景をよく描き出している。絵:A. Jalolov『泥の戦場』

人出の多いサイールゴフ通り、他

チムール広場の西には、人出の多いサイールゴフ通りがある。土産物店、画商店など楽しいお店がいろいろ。
その近くに1947年に完成したナヴォイ・オペラ。バレエ劇場があった。タシケントに抑留されていた旧日本兵の強制労働でつくられたとされる。
タシケントに着いた日に、なぜかこんなテーマパークのようなところ(マジック・シティ)に迷い込んでしまった。空港から適当に乗った市バスから、何やらお店もたくさんあるように見えたので、書店もあるか、と思ったのだが。(空港に市街地図がなく、街中の書店で入手しようとした)。
その近くには大型ショッピングモールや公園など各種施設があり、韓国系の複合レジャー施設ソウル・ムーンもあった。運河の水辺空間を利用した味わいのある設計で、ショッピングモール、レストラン、カフェなどが並んでいる。

郊外の安宿

私が入った安宿は、(安宿の常として)やや郊外の方にあった。1階がコンビニ、2~3階がホステルだ。私はドーミトリーでなく3階の個室(ツイン部屋)に入ったが、窓から西日がもろに差して、冷房がないと大変なことになる。

水辺の空間を利用した各種施設

主に周辺の散策に留めることにしたが、なかなかいい所だった。主要道チムール通りを北に約4キロ。中央アジアで最も高いタシケントタワー(375m)が近く、目印になる。近くをアンホール運河が流れる。シルダリア水系のボズスー運河に属し、タシケントの中央を南北に縦断する。この水辺の空間のレジャー利用、再開発が活発に行われているようで、前記韓国系複合施設もその一つだ。
そのアンホール運河に沿って立つミノール・モスク。2014年にできたばかりの新しいモスクで、まばゆい。英語読みすると「マイナーなモスク」ということになってしまうが、とんでもない。2400人を収容でき、タシケント最大のモスクだ(biggest working Mosque in Tashkent)。モスクというと、寺や教会同様、古いものに価値を置いてしまうが、イメージを一新する最先端の建築があってもいい。
同じく宿近く、水辺の公園アクアパークやコンベンションセンターに隣接して日本庭園もあった。静けさを求める人たちの憩いの場になっている模様。
東屋は、イスラムの祈りの場になっているようにも感じられたが。