コロナ禍のアメリカへ

6月10日、満を持してアメリカに戻った。3月上旬から3カ月、バスも地下鉄も乗らず、名古屋の自宅周辺だけでうごめいていたが、6月になって、日米ともに行動制限が少しずつ緩和され、サンフランシスコに住む息子夫婦の事情もあって帰ることになった。母の病状のこともあり、12月末に日本に来て実に半年ぶりのアメリカ帰り。まだ、国際移動は好ましくない時期だが、やむを得ない事情ということでお許し願いたい。

名古屋や関空からだとサンフランシスコまで片道十数万円していたが、成田からソウル経由片道6万円台のアシアナ航空便があって助かった。3カ月バス・地下鉄も乗らなかった人が、いきなり夜行バスで東京へ、太平洋を越えてアメリカへの旅だ。いささか悲壮感はあったが、動き出してみると、少ないながら移動する人は居て、そこに入ると不安は薄まる。「みんなで渡れば怖くない」の心理か。

名古屋から東京駅までの夜行バスが2100円、東京駅から成田空港までのバスが1000円。計3000円程度で成田空港まで行けるようになったのはありがたい。成田空港はがらがら。飛行機もがらがら。ソウルの乗り換えの際、入国者と同じ列に並ばされて時間がかかったが、チェックインや出国など各種空港手続きは全般にスムーズだった。日本出国の際、外国人は永住者であっても、米国を含む感染地域からの上陸は拒否の対象になることを理解した旨の書面にサインする必要があった。年老いた父に何かあった場合どうしようとの思いが脳裏をよぎったが、やがて事態が好転することを期待して署名した。

ソウルからサンフランシスコへの飛行機もがらがらで、後の方に移動して横になって寝られた。サンフランシスコ空港での入国手続きもいつもは時間がかかるのだが、非常にスムーズで拍子抜けした(私が米市民だったからも知れないが、外国籍の人もそれほど厳しい審査を受けているようには見えなかった)。米国内住所が証明できるIDカードを米国内アパートに置いたままだったので、「サンフランシスコに旅行に来たのか」と難癖をつけられることを恐れていたが、ほぼフリーパスだった。成田とソウルでは個別に体温を測られたが(36.0度、36.1度)、サンフランシスコではそれもなかった。リモート・センサーでチェックされ通過したようだ。

アメリカは現在、ヨーロッパ諸国と中国、イラン、ブラジルからの入国を禁じているが、日本を含めその他の国からは入国できる。米国民や永住者はそれらの国からでも入国可だ。ハワイのように州が独自規制をもうけない限り*入国後2週間の強制隔離もない。米疾病予防管理センター=CDCからは、14日間自宅に待機して健康管理を行う勧告が出ている。

*ハワイ州の(米本土を含む州外から)到着後14日間の強制隔離はかなり厳しく逮捕者も出ているようだ。ホテルをキャンセルして行方不明になった人は警察のフェイスブックページに顔写真入りの指名手配(Wanted)情報が載り、ホテルでは1回だけドアを開けられるカードキーが渡される。1度入室したら14日間は外に出られず、ルームサービスの食事を摂りながら部屋にこもるだけ(Washington Post, May 20, 2020)。

成田空港第3ターミナル、6月10日午前9時半。
ソウル空港も人はまばらだった(ゲート内)。
ソウルからサンフランシスコへの飛行機内。特に後ろの方はがら空きで、移動して横になれた。
サンフランシスコ湾岸都市域が見えてきた。シリコンバレー上空。
サンフランシスコ空港も人がまばら。

サンフランシスコ郊外コンコードへ

一挙に空港の外に出て自由の身になる。高速地下鉄BARTに乗れば、コンコード(サンフランシスコ東50キロの郊外都市、人口12万人)まで直通で行ける。コンコードの駅から自宅までの郡バスは無料になっていた。運転手のところでの料金支払いが対人近接になるので、後の扉から勝手に入って乗れ、という方式になった模様。(念のため言っておくと、米国市民が国外から公共交通機関で自宅に帰るのは正当な移動行為とみなされる。日本では例えばアメリカから帰国した日本人も公共交通機関は使えないようだ。)

地下鉄は夕方の通勤時だったが、やはりすいていた。地下鉄が地上に上がり窓からなつかしいコンコードの街とディアブロ山が見えて来る。明るいカリフォルニアの青空。何もかもが同じだ。日米両方に拠点がある身として、何度も日米を往復し、違った環境にそのたび違和感なく入りこめる感覚が不思議だ。

しかし、半年前にはまったく見なかったマスクをかけている人を、至る所で見る。空港や交通機関の中では全ての人がかけている。そこが根本的に違う。面白いことに、こちらの人のかけるマスクの多くは黒、青、ガラ物など色付きだ。白マスクはいかにも病人や病院をイメージして避けるようだ。

空港からコンコード方面に向かう湾岸高速地下鉄BART。夕方通勤時間だったが、席は空いていた(西オークランド駅付近)。密にならないため、乗客が少なくとも最長編成で運行している。
地下鉄が地上に出て、コンコードの平原に入る。ディアブロ山が見えてきた(ウォルナットクリーク駅付近)。日本でもそうだが、ウイルスがどれだけあばれても自然の景観にはわずかな変化もないことが不思議。

カリフォルニア州のコロナ情勢

6月16日現在、カリフォルニア州(人口3950万人)の新型コロナ感染者は153,560人、死者5,121人。これまでに2,937,755件の検査が行われ、ここ2週間での陽性率は4.4%だった。感染者、死者の約半数がロサンゼルス郡(72,932人、2,907人)であるなど、南カリフォルニアが中心で、サンフランシスコなど北カルフォルニアはある程度抑えられている。私の住むコンコードのあるコントラコスタ郡(人口115万人)は、感染者1,893人、死者44人。死者数が人口6倍の愛知県と同じレベルでも「比較的抑えられている」とされるのはやはりアメリカの感染拡大のすごいところだ。

カリフォルニア州は比較的早くから屋内退避勧告を出していたが(3月17日から北部6郡、同19日から全州)、4月28日に通常復帰に向けた4段階の「ロードマップ」を策定。現在は「低リスクの」小売業、製造業、事務所などを再開させる第2段階に来ている。ただし、各郡の実情に合わせて進み具合はまちまち。私の住むコントラコスタ郡では、6月5日に、レストラン屋外席での食事など、一定の屋外活動・事業を許可し、7月から屋内レストラン、バー、ジムなど屋内活動・事業も許可していく方針だ。

買い物

スーパーなど生活に欠かせない店はむろん当初から開いている。入る場合はマスク着用、6フィート(1.8メートル)間隔確保が義務付けられる。混み合う場合は入場制限があり、入口に間隔を空けて列を成すことがあるが、アメリカのスーパーは倉庫のように巨大なので、普通は平常通りの買い物ができる。

スーパーは混み合う場合に入場制限がある。入口に間隔を空けて並ぶ。
娯楽施設はまだ閉まっている。日系のラウンドワンも。ここにカラオケがあるのだが。
コンコードのダウンタウン(中心街)。野外でのレストランやカフェは営業していた。公園でくつろぐ人は多い。 
カリフォルニアは夏季に雨が降らず、霧の多い海岸部以外は乾燥している。空は雲一つない青空が多いが、こんな筋雲の空も美しい。

野外活動、スポーツ

一時期のヨーロッパ諸国と異なり、アメリカでは、近場での散歩、ジョッギング、サイクリングなど野外活動は当初から認められていた。単独の活動で、かつ対人距離を十分にとれば、確かに、コロナに対する抵抗力をつけるためにも体を動かすことは必要だろう。

特に6月5日の緩和以来、自由度が増したようだ。テニスコートが使えるようになっていたのはうれしい。野球場、野外プールなども一部は使えるようになった。ただし、バスケ・コートは屋外でもだめで、テープが貼られたり、リングが取り外されたりしている。私がよく使っていた学校開放の校庭コートも、学校自体が閉鎖になっているので使えない。広い緑の芝生で自由に遊べるが、児童公園は、不特定多数が遊具にさわるので使えない。

散歩・自転車道には多くの人が繰り出していた。以前より人が多いくらいだ。散歩の人はマスクをつけている人もいるが、サイクリストはまずつけていない。確かに自転車だと集団走行をしない限り密にはならないだろう。すれ違う際は数秒だけ息を止めればいい。コロナ時代になって自転車利用が急増したという。
同上。
野球場も使えるようになっていた。ただし、閉鎖されたままのところもある。
バスケットボールは基本的に禁止だ。バスケコートは、テープがめぐらされ入れなくなっていたり、このようにリングを撤去するような強硬手段を取っているところもあった。残念だが仕方がない。一人で玉入れをする分には安全だろうが、対面してディフェンスする1対1や3対3になることも多いので、蜜そのものとなる危険がある。
公園には蜜を避けるため、6フィート(1.8メートル)は離れましょうというサインがある。アメリカの公園はどこも広いので、普通に運動する分にはそんなに接近することはあり得ないが。

意外にも壁テニスが禁止

西海岸では、東海岸と違ってバスケよりテニスの方が盛んで、テニス場がたくさんありかつ無料で使える。それで私もテニスの特訓中だった。テニスコートが使えるようになったのはうれしいのだが、何と、壁テニス場が閉鎖されていた。一人で壁向かって壁に打つのは安全なはずで、まったく予想外。

しかし、すぐわかった。最近はこの壁テニス場で、若者が群がって「ハンドボール」を行うことが多くなったのだ。オリンピック競技のハンドボールと違い、手でテニスボールをかわるがわる壁に打ち付けて返せなかったら負けという競技だ。「ダブルス」のような形になるし、まわりに多くの若者が集まって興じることが多いので確実に密になる。

テニスコートは使えるようになったが、手前の壁テニス場は閉鎖されていた。

やむを得ない、とあきらめていたら、若者たちも黙って引き下がってはいない。テープや柵を取っ払って、平然とハンドボールをやっているのだ。またテープが張られるが、また取っ払う。うーむ、さすがにアメリカ人どもだ、とうなった。

実はテニスコートの方も、シングルだけで、ダブルスは密になるので禁止されている。しかし、そんなことはまずお構いなしに、普通にダブルスをやっている。うーむ、これだからウイルスは抑えられないのか。わしゃ知らんぞ。

郊外に広がってきた黒人殺害抗議活動

隣町ウォルナットクリークでは、ミネアポリスでの警官による黒人殺害に抗議するデモが荒れ、暴動が発生していた(5月30日、SF Chronicle記事参照)。割られたガラスに板が張られ修理の途中だった。
都市圏中心部のオークランドでも暴動が起こったが、普段は静かな郊外都市にも広がってきたことが特徴的。なぜなのか。あるいは、似たような都市コンコードではなくなぜウォルナットクリークなのか。背景を分析する必要。