パロアルトからミルピータスへ シリコンバレー横断サイクリング

シリコンバレー横断のサイクリングにでかけた。6月30日(水)。スタンフォード大学近くのパロアルト(カルトレイン)駅から、バレー東部のミルピータス(BART)駅まで。地図で見ると、西から東へほぼ「横断」のコースになるが、感覚としては、北端のパロアルト周辺から、サンノゼを経たバレー終端ミルピータスまで、となぜか北から南「縦断」のイメージになる。シリコンバレーの中心部全行程を一挙に走るという前からやらにゃと思っていた走行だ。

シリコンバレーにはすでに何度もサイクリングに来ている。また来て、おそらくこれからも何度も来るだろう。理由の一つは、バレーがだだっ広く面的に広がるからだ。1回の通り抜けでは全部を網羅できない。何回も別コースを走りながら徐々に全体をカバーできる。

そしてもう一つは、私の準備不足という要因。見学に出かける前に周到に全部調べるという「予習」が苦手だ。行ってから、あ、これは何だ、と興味を持ち、帰ってからいろいろ本格的に調べだす。そして詳しくわかると、なんだ、だったら隣のあれもこれも見ておきたかった、などと気づく。いろいろ見落としがあるのだ。それで再度同じ場所をまわり写真を撮ったりする。

いろいろジグザグでまわった。広い湿地帯のサイクリングもした。パロアルトまで行く前にサンフランシスコ市内の補足調査もしたので、この日の行程は100キロに行ったと思う。膝痛で「走れないから自転車こげる」状況の中ではいい運動にもなった。

パロアルト、スタンフォード大学周辺

サンフランシスコからカルトレイン鉄道で来てパロアルト駅で降りる。駅のすぐそばにアマゾンのビルが見える。アマゾンはシアトルが本社だが、シリコンバレーやサンフランシスコでも事務所を多く見る。
スタンフォード大学。同大中枢部にして最も古い校舎部分「クアッド」(1906年完成)の中庭からフーバータワーを望む。スペイン人の建てたカリフォルニア・ミッション(伝道所など)の建築様式を模している。スタンフォード大学は、セントラルパシフィック鉄道などで財を成したリーランド・スタンフォード夫妻が、早逝した一人息子リーランド・スタンフォード・ジュニアのメモリアルとして1891年に設立。その遺志は、同大が現在世界的に果たしている学術的・産業的貢献で十二分に生かされているだろう。
クアッド中庭に面して立つメモリアル教会。ジェイン夫人が、先に亡くなった夫リーランド・スタンフォードのため1903年に建立。「ロマネスク調で詳細はビザンチン」の建築様式で「スタンフォード大学の建築上の王冠」とされる。
大学南東のスタンフォード・テクノロジー・パーク(SRP、1953年設立、2.8 km²、約150企業、雇用23,000人)地域を再訪。シリコンバレー形成の原動力の一つとなったヒューレットパッカード社が1956年、ここに本社をおいた。写真は同社のビジター・センター。
パロアルト研究所(PARC)もスタンフォード・リサーチ・パーク内にある。写真はその正面玄関。ゼロックス社の研究施設として1970年に設立され、現在は独立してその子会社の位置づけ。自由な気風でシリコンバレーの技術革新に重要な役割を果たした。それを本社ゼロックスが有効に製品化できなかったことでも伝説的。マウス、イーサネット、レーザープリンタなどを発明し、MacやWindowsにつながるコンピュータのグラフィカル・インターフェイスも先導した。古い伝統ある研究所なためか、建物は古めかしくあまり見栄えがしない。大きくもない。
この角度からPARC看板の写真を撮ると、非常に立派な建物に見える。しかし、後方の建物は、道路をはさんだ別会社Dpix社のビルだ。
さらに南下してマウンテンビュー方面に向かうのだが、その途中にこんな散歩・自転車道があった。この下を、遠くシエラネバダ山脈ヘッチヘッチー貯水池から送られる飲料水のパイプ管が走っている。
ヘッチヘッチー貯水池はヨセミテ国立公園内のツオルメ川をせき止めたもので、その水が遠く269 km離れたサンフランシスコその他ベイエリア都市圏に送られている(1日平均90万 m3、供給対象人口260万人)。サンフランシスコ市が20世紀初め、環境保護論者の反対を押し切って行った巨大事業。1923年にダムを完成させ、1934年に最初の水がサンフランシスコに到達。写真の地図で見るように269キロの重力利用送水管(つまりポンプなしで自然に流れて来る)はベイエリアに入ると4本に分かれ、そのうちの3号、4号管がこの散歩・自転車道下を通る。地図の赤線最下段左下にあたる。
その散歩・自転車道に沿ってターマン公園があった。閉鎖したターマン中学校をパロアルト市が買い取って1980年代に公園にした(現在、別名で中学校も復活)。この中学校の「ターマン」はIQ概念導入で有名なルイス・M・ターマン(1877-1956、スタンフォード大心理学教授)を記念したものだが、シリコンバレーの歴史を知る者には、その子フレデリック・ターマン( 1900-1982、スタンフォード大工学教授)の方がなじみ深いだろう。ヒューレット・パッカードなど学生起業を推奨・支援し、工学部長時代にスタフォード工業団地(現スタンフォード・リサーチ・パーク)を設立するなど「シリコンバレーの父」と称される。

マウンテンビュー、グーグル周辺

マウンテンビュー市中心街に入ってきた。コロナ禍で街路での野外飲食スペースがすっかり定着した(写真:市の繁華街、カストロ通り)。感染が下火になり、人出もかなり増えたようだ。マウンテンビューはグーグルの拠点としても有名。
昔から同じく市内にあるモフェット・フィールド海軍飛行場周辺に技術力の高い軍事産業が立地し、スタンフォード大のあるパロアルト周辺を二大中心地として、シリコンバレーが発達してきた。トランジスタを発明したショックレーが1953年にマウンテンビュー市内にショックレー半導体研究所を設立し、そこを飛び出して創業されたフェアチャイルドセミコンダクターなどの諸企業がシリコンバレーの起点となったされる。カルトレインの駅がある他、サンノゼ方面からのライトレール(路面電車VTC)もマウンテンビューが終点となっている。
マウンテンビューの市役所(左)と美術館(右)。繁華街・カストロ通りの先にある。
カルトレイン鉄道のマウンテンビュー駅。
グーグルの工事中新本社屋ビル再訪。グーグルプレックス(背後)との間にあるチャールストン公園から。6月30日現在の様子。
この新本社の裏側(南側)にグーグルは巨大な街をつくることを計画している。住宅7000戸(20%は低家賃住宅)を含む49ヘクタールの街づくりプランが今年3月23日、マウンテンビュー市議会で承認された。うち14ヘクタールは公園・オープンスペースになる。事務所スペース29万3000平米、店舗・地域利用スペース2万6000平米を擁し、職住近接の「コンプリート・ネイバーフッド」とする。住宅街やビジネス街などに単一化しない「完全な街」ということだ。
工事の現場。6月30日現在。当初、今年中に完成、と言われていたが、ここ最近は「あと1年」と言われている。

野生生物保護区

グーグル本社は海辺(サンフランシスコ湾)に近く、すぐ近くがこのような広大な自然公園になっている。凧揚げの名所になっているようだ。
湾岸の湿地帯(一時期は塩田)岸辺に沿って散歩・自転車道がかなり長く続いている。一度はここを行きたい、と思っていた。シリコンバレーは意外と、広大な自然を味わえる場所だ。サンフランシスコ湾岸地域の多くが米魚類野生生物局(U.S. Fish and Wildlife Service)の管理する国立野生生物保護区(National Wildlife Refuge, NWR)に指定されている、その全体を「サンフランシスコ湾国立野生生物保護区複合体(San Francisco Bay National Wildlife Refuge Complex)」と呼び、その湾南部地域がドン・エドワーズ・サンフランシスコ湾国立野生生物保護区(Don Edwards San Francisco Bay National Wildlife Refuge)だ。
サンフランシスコ湾側。
陸側には、塩田の跡が残っていた。遠くにモフェット・フィールド飛行場。右端に見えるのはグーグル本社でなく、そのベイビュー・キャンパス。本社と同じような「金属サーカス・テント」型建築だ。
西日を背景にサンフランシスコ湾。浜には藻類のようなものが押し寄せている。遠くサンフランスコ市の方向には太平洋側からの霧がかかっているのがわかる。シリコンバレーのある湾南岸の方までは来ない。
海辺沿い散歩・自転車道の最終コーナー。

タスマン通りからミルピータスへ

サン・トーマス・アキーノ川辺りで陸方向に進み、タスマン通りに出る。BARTで来ると、ミルピータス駅からこのタスマン通りを伝ってシリコンバレー主要部に行くことが多い。これに沿ってVTAのライトレール路面電車も走っている。(ミルピータス側から言って)グレートモール、シスコ本社ビル群、サムスン・ビル、グレートアメリカ、リーバイス球場などがあり、モフェット・フィールド近くまで来れる。写真は、シスコ(米8位のIT企業)の多数あるビル群のうちの本社屋。

パロアルトを午後3時頃出て、余裕だと思っていたのだが、湿地帯サイクリングを終えてからが意外と長かった。いろいろ細かい断片でシリコンバレーを走行していると、距離感がおかしくなるようだ。何とミルピータス駅に着いたのは8時半頃で、BARTは終電車になっていた。