知は大学が独占?
1990年代、私はサンフランシスコに居て、『最後のインテレクチュアルズ』( Russell Jacoby, The Last Intellectuals: American Culture in the Age of Academe, 1989)を読んで愕然としていた。私はフリーライターだった。しかし、もはや時代はそんな自由な書き手、思想家の活動するときではなくなった、ということをその書は説得的に示していた。
知識人はことごとくアカデミズムに吸収され、大学や研究機関など巨大な組織の中でしか活動できない時代になったという。「ボヘミアン」の時代は終わった。インテレクチュアルは都市の空間で自由に生き大衆に向けて書くのではなくて、郊外の小ぎれいな環境で狭い学術分野に特化しアカデミズムのために書く。知は大学に独占され、知識人は学的世界での上昇を目指して書くようになった。
そうなのか、私のような組織に属さず放浪するライター、思想家(夢想家?)の時代はもう終わりなのか。その当時私は、日本で大学教員の職を得ることになっていた。フリーの研究者であることはやめるときが近づいていた。やはりそうか…自分の人生の進路も含めて複雑な思いに駆られていた。
ボヘミアンの復活
だが、2010年代に入り、新しいボヘミアンたちの復活が高らかにうたわれるようになった。その旗手はリチャード・フロリダ(Richard Florida)だ。The Rise of the Creative Class(2002年、邦訳:井口典夫訳『クリエイティブ資本論』2008年)以後の一連の著作で、現代ほど創造的な活動をする人々が重要になった時代はないと精力的に説きはじめた。「科学者、技術者、芸術家、音楽家、デザイナー、知識産業の職業人など」が「クリエイティブ・クラス」(創造的階級)をつくり、社会経済を動かす主要な力となりつつある。そして、これを有効に引き付けられる都市や会社だけが繁栄できる。移民、ゲイ、芸術家など、一見、産業に関係なさそうな人々も、そうした多様・自由・寛容な社会に魅き付けられ、そうした創造的都市の一部を形成する。それが産業発展の基礎ともなる。「ボヘミアン・インデックス」なるものまでつくり、こうした人々を獲得できるための指標にしてくれている。
ボヘミアン型の自由な思索家、ライター(現代ならブロガーも含むだろう)の時代は終わるどころか、その黄金時代が来たかのようだ。世界中の都市と最先端の企業たちが、このような人材を引き寄せる創造的空間をつくろうと競っている。
ホントか。フロリダさん、ありがとう! と思わず言ってしまう。「ついに俺たちの時代が来た」とまでは思わないが、確かに、彼の分析するような時代の流れは確固として存在しているだろう。彼の上記『クリエイティブ資本論』の出だしには次のようある。
「本書は新しい社会階層の台頭について述べたものである。科学者、技術者、建築家、デザイナー、作家、芸術家、音楽家、あるいはビジネス・教育・医療・法律などに関わる職務に就き、その中心的な部分においてクリエイティビティを発揮することを求められている者が、その階層の構成員である。これらアメリカの労働人口の三〇パーセント以上を占める三八〇〇万人の社会階層「クリエイティブ・クラス」は、人々の働き方から価値観や欲望、日常生活そのものに対して重大な影響をおよぼしており、今後もそれは続くであろう。」(『クリエイティブ資本論』p.xix)
ペーパーバック版序文には次のようにある。
「クリエイティビティは究極の経済資源である。新しい考えや物事をよりよく進める方法を生み出す力は、やがて生産性を向上させ、生活水準を向上させる。農業の時代から工業の時代への大変化は、当然のことながら天然資源や労働力によって引き起こされたものであり、最終的にはデトロイトやピッツバーグに巨大な産業拠点を生むこととなった。いま起きている変化は、さらに大きな変化に発展する可能性がある。というのも、以前の変化は物理的に投入するものを土地・人員から原材料・労働力へと置き換えるものであったが、今度の変化は人の知性や知識、クリエイティビティといった無限の資源に基づいているからである。」(同上書、p.i)「経済成長は複雑な過程である。人間の歴史の大半において、富は肥沃な土地や原材料など、その場所の天然資源の恵みによってもたらされていた。しかし今日の重要な資源はクリエイティブな人材であり、それは流動性が 非常に高い。この資源を呼び込み育成し、動かす能力が、競争力の重要な側面となっている。」(同上書、p.ix)「広範な社会変化の原動力として、多くの専門家があげるのは技術である。しかし私は、この時代の真に根本的な変化は、生き方や働き方の変化 ―職場や余暇における過ごし方など、コミュニティや日常生活での変化が次第に積み重なったもの― と関係していると確信するに至った。私たちが求めるライフスタイル、時間のやりくり、他人との関わり方までのすべてが変化しており、それらには共通の特徴があるように思われたのである。すなわち、経済発展や新たなクリエイティブ・クラスの台頭の源泉としての、クリエイティビティの役割である。」(同上書、p.xxi)
都市が創造性を生む ーサンフランシスコ都市圏
そして、こうしたクリエイティブ・クラス台頭に重要な役割を果たす基礎として、彼は「場所」を重視する。とりわけ「都市」がその基盤を形成する。例えばパソコン革命の時代にシリコンバレーが、いかにこうしたクリエイティブ都市を背景に台頭してきたかを、P・フライバーガー、M・スワイン『パソコン革命の英雄たち』(大田一雄訳、マグロウヒル出版、1985年)を引用しながら語る(なつかしい書が出てきた。拙著『パソコン市民ネットワーク』技術と人間も参照)。パソコン通が集まった伝説のホームブリュー・クラブには反体制活動家やハッカーたちが集まり、60年代ヒッピーのような姿のスティーブ・ジョブズ、パソコン・オタクのスティーブ・ウォズニアックらアップル創始者たちも居た。
「このジーンズと伸ばし放題のもじゃもじゃ頭では、ニューヨーク、シカゴ、あるいはピッツバーグで出資を募ったとしても、受付係に呼び止められて、けっして中に入れてもらえなかっただろう。しかしながら、シリコンバレーでは彼らも、彼らのような人たちも温かく受け入れられたのである。」(p.267)とする。そして言う。
「ここで、シリコンバレーの成長は「六〇年代革命」の中心地、サンフランシスコとの関係のなかで理解しなくてはならない。ハイテク産業が高度に成長している他の地域でも、ほとんどの場合、シリコンバレーと同じパターンが見られる。その地域は、ハイテク産業のメッカになる前、クリエイティビティと風変わりであることが受け入れられ、称賛されていた場所だった。ボストンには、いまも昔もケンブリッジの大学街がある。シアトルはジミ・ヘンドリックスの出身地であり、その後もニルヴァーナやパール・ジャムを輩出している。マイクロソフトやアマゾンもシアトルが本拠地である。オースチンはウィリー・ネルソンの出身地であり、マイケル・デルが、テキサス大学の学生寮に足を踏み入れるはるか以前にシクススストリートの音楽シーンがあった。ニューヨークにはシリコンアレーの出現のはるか前から、クリストファーストリートやソーホーがある。これらの街はみなオープンであり、多様性を認めていて、まずは文化的にクリエイティブな場所である。その後、これらの場所は技術的にもクリエイティブになり、結果として新しいハイテク企業やハイテク産業の誕生を見ることとなる。」(『クリエイティブ資本論』、p.268)
サンフランシスコ都市圏はリベラルな地域で、バークレーのカリフォルニア大学では1964年に大規模な学生運動(Free Speech Movement, 上記動画)が起こった。それが全米、全世界に広がり「怒れる学生」たちの60年代がつくられたとされる。
クリエイティヴィティが根幹となる現代において、都市は、そうした人々を引き寄せる場となった。「風変わりな人々」を含め多様な人々を集め、寛容でクリエイティブな環境が決定的なのであり、それをつくることが都市間競争の中で最重要になっていると訴える。
「結論を言えば、都市にはビジネス環境以上に人材の環境が重要なのである。いまやクリエイティビティをその多様な面や規模のすべてにおいて全面的に支援し、ハイテク企業だけではなく、クリエイティブな人々にとっても魅力的なコミュニティを構築することが求められている。かつて元シアトル市長のポール・シェルが述べたように、成功は「クリエイティブな経験が活発にできる場所をつくり出すこと」にかかっている。コミュニティは企業、スタジアム、ショッピングセンターに助成金を出すのではなく、多様性を受け入れ、人々が実際に欲しているライフスタイルや快適な生活空間の提供のために投資する必要がある。実際、そうしたことのできないコミュニティが繁栄することはないのだ。」(同上書、p.356)